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良寛詩歌集 「どん底目線」で生きる

感じたこと

  • 共鳴、っていい言葉。良いものに共鳴する自分を作る。
  • いま、ここ。だけではなくて、いま、ここ、自分。そして縁。

内容

  • 2つのキーワードが重要になると私は考えています。まず一つ目は「どん底目線」です。良寛は誰に対しても決して偉ぶることなく、常にどん底の立ち位置から社会や人間を観察し、批判眼と許しの眼をもって他者に接しました。このどん底目線はどこからきたものなのか、それを知ることで良寛の目指した「悟り」とは何なのかが見えてくるはずです。 二つ目のキーワードは「徹底した言語化」です。良寛はどん底目線から見たもの、感じたものを自分の心の中だけに留めておくのではなく、常に漢詩や和歌で言語化しようと試みています。その理由を探ることで、今度は良寛の表現活動の根っこにあるものが見えてくるでしょう。
  • 「縁に身を任せる」というと、自分では何も決めないように感じられるかもしれませんが、そうではないのです。じつは逆に大きな決断力を必要とします。先がどうなるのかまったく見えない深い霧の中に決意を持って飛び込んでいくことを意味するからです。「飛び込んだ力で浮かぶ蛙かな」という句がありますが、それは縁に任せていく 肚 の据わりだと思います。蛙は飛び込んで、その勢いで逆に浮き上がってくる
  • 作品にもそれは如実に表れています。円通寺時代の詩や歌は、古い禅宗のお坊さんたちと同じような表現を使って、なるべく既存のルールやリズムを崩さないように書かれていますが、旅に出てからは、ルールから逸脱し、自由に表現の世界に遊ぶようになっていきます。そう考えていくと、五年間の乞食旅は良寛にとっては決して長すぎるものではなく、「本当の自分、ごまかしようのない自己」を見つけるためには、どうしても必要な時間だった
  • この詩を読むと、良寛が生涯寺に入らなかった理由や、平気でニシンを食べた理由がわかります。表層的なルールや形にこだわることなく、ものごとの根底にある「本質」の部分にのみ、良寛は眼を向けていたのです。もちろん、それは仏教の教えや人々の宗教心、僧の存在を否定することではありません。ただ、形式や立場で自己を飾り、立場を守ろうと考えている人への批判的な眼を持っていたのは確かでしょう。
  • 花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を 尋 ぬ。花開く時、蝶 来り、蝶来る時、花開く。吾もまた人を知らず、人もまた吾を知らず。知らず、 帝 則 に従う。 (花は無心で蝶を招いているし、蝶も無心で花を訪ねています。花が開くと、蝶がやってきます。蝶が来たとき、花は共鳴するように開きます。同様に、私も相手のことを気にしないままあるべきように対応し、相手も私に無理に合わせるのでもなく、その人なりに自由に振る舞って、お互いに人としてあるべき自然の法則にしたがって楽しんでい
  • そして七十代については、「人間の是非、看破に飽く」としています。人間世界の損得やよしあしはすべて見飽きてしまった ── 老境にさしかかり、すべてを 醒めた気持ちで見るようになったのでしょう。
  • 仏教には「仏教哲学」や「宗学」といわれる教理学がありますが、そのめざすところは、特別で神聖な「ちから」を信じ、それに任せるという信仰ではなく、「今・ここで・自己が」愚かさやこだわりから「 脱落」して「せいせいと生ききる」ことです。そうした静寂な心を信じられることです。良寛さんは、そのことが心底わかっていたのだと思います。
  • 昨日 の 是 とせし所、 今日 亦 た 非 とす。今日の 是 とする所、 焉んぞ 昨 の 非 に 非 ざるを知らん。 是非 に 定 端 なく、 得失、 預 め 期し 難し。 愚 なる者は 其の 柱 に 膠 し、 何ぞ 之 くとして 参差 たらざらん。智有るものは、其の源に達し、 逍遥 して 且 く時を過ごす。 智 愚 両 つながら取らずして、始めて 有道 の 児 と 称す。 (世間的な是だの非だのという対立は、場当たりなご都合でしかない。愚かな人は正義を固定化するから食い違うのだ。賢い人は物事の本質を見、ゆったりと生きていく。賢さにもとどまらず愚かにも落ちず、自由にせいせいと生きるのが本当の道を生きる人ということであろう。
  • これは、道元『正法眼蔵』の「 菩提薩埵 四 摂 法」巻のなかで「愛語」という実践項目について述べた部分を書写したものです。ブッダの教えの中に「慈・悲・喜・捨」の四無量心がありますが、それが行動化すると、「布施・愛語・利行・同事」(持っている人は持たざる者に分かち与える/慈愛から起こる言葉/人を助ける行動/相手の立場に合わせて行うこと)という生き方学になります。
  • これは、真実は真実に共鳴し、自適するという意味です。このような道元禅師の言葉に触れて、良寛さんはきっと喜んだのではないかと思います。

引用メモ