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くそつまらない未来を変えられるかもしれない投資の話

感じたこと

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内容

  • 20 代前半までの俺は、通いやすい銀行にお金を預けて、手に入りやすい物を買って生活していたわけだけど、その結果、とにかくつまらない街がえんえんと広がってしまった。日本中どこに行っても四角くて色のないマンションが並んでいるし、同じようなショッピングモールやコンビニばかりが増えていて、家も店も商品も売れるように最適化された物ばかり並んでいる。おもしろい物はみんな地下や山の深くに逃げていった。 悔しいけど、この街を作ったのは俺たち自身だ。目の前に出された物ばかりを手にして暮らしていたらこれから先もなにも変わらない。未来はくそつまらない方向へ進み続けることになる。 自分たちが笑って生活していくために、お金をどのように使い、どこに預けるのか、全て自分の意志で選び取っていきたい
  • 俺が思い描くパンクというのは、よく漫画や映画に出てくる革ジャンでモヒカンのパンクスとはちょっと違うかもしれない。派手かどうかはどうでもいいし、不良じゃなくても構わない。重要なのは「Do it yourself」と「Anyone can do it」の精神で、つまり自分でやるってことと、誰でもできるってこと。それ以外はなんだっていい
  • 貯金額や見た目のよさ、フォロワー数なんかを重要視する人もいるけど、「よい暮らしをする能力や環境があるかどうか」よりも「今よい暮らしをしているかどうか」のほうを重視して生きていきたい。たとえ毎月何百万円もらえたとしても、余暇のない暮らしは苦しい。少なくとも俺にとっては、友達も倫理観も余暇も、どれもお金と交換できるようなものではなく、お金はそこまで万能じゃないと考えている
  • 今後景気がよくなると思ってる人なんかめったにいなくて、少子高齢化が問題視されても子どもは増えない。金持ち 貧乏人の構造は明らかに強くなってるし、Twitterは右や左や上や下に分かれていて、見るのもつらい。でもそんな今ですら「昔はよかった」と思えるくらい、くそつまらない未来が迫ってきているような気がしている
  • くそつまらない街が広がってきている。まるで風の谷のナウシカの腐海みたいに誰にも止められない勢いで広がり続け、2011年からは人が住んじゃいけない街や泳げない海まで現れた。一体誰が望んだ未来なんだろうと思うときもある。こうしてくそつまらない未来が、どんどん。
  • キッチキチの電車に揺られているとついつい忘れちまいそうになるけど、俺たちは効率よく生きるためや、年収を上げて GDP を上げるために生まれたわけじゃない。限られた人生をめちゃくちゃ遊びまくっていい。資本主義にはいいところも悪いところもあるけど、いいところは利用して、悪いところはカバーして、存在しないものは作っていけばいい。自分でやれることはたくさんある。分業が進んだ会社員生活を送っているとつい忘れてしまいそうになるけど、ほとんど全ての物は自分で作ることができる。塩も野菜も家も、人間関係や街の雰囲気、社会や仕組みだって、ほとんどなんでも作ることができる
  • このように、通貨は産業技術の進歩とともに形を変え、どんどん保存性が強いほうへと向かっている。つまり、社会はお金をもっと保存したいと思っている。お金の保存性の高さは、今の時点ですでに自然界には存在しないレベルで、異常な域に達している
  • 少なくとも、人間の仕事は産業革命前よりも程度が低い。 IT 革命以降に至っては機械を助ける技術ばかりが向上していて、指はタイピングのためにある。重要なのは効率で、効率のために分業が進む。たとえばコーラの会社に就職しても、コーラの作り方も売り方もわからないまま定年を迎えることになる。クレーム対応やビジネスメールの作り方ばっかり上手くなって、独立の仕方も老後の楽しみ方もわからない。会社仕事は生活に活きることが少ない
  • 全く工夫のない商品はよさも伝わりづらいし、なかなか手元まで届かないから当たり前っちゃ当たり前だけど、その商品の中身が見えなくなるまで厚化粧された商品はうれしくない。 はっと気づくと、まるで中身のない物や大して好きでもない物ばかりにお金や時間を使ってしまっていて、本当に好きな物を買う余裕はみるみるなくなり、またもたきたてマックが潰れる
  • うちのタオルはほとんど貰い物のバンドグッズでE.YAZAWAのやつは1枚もないけど、矢沢ファンたちと同じような気持ちで買い物するときもある。よくある。特に本や絵や新品の CD を買うときは、少なからず応援の気持ちがある。誰もが役に立つものしか買わない場合、アートで食える人はいなくなる。そうなれば、俺の地元みたいなくそつまらない街並みが一気に広がってしまうだろう。 野菜を買うときや包丁や鍋を買うときも、借りる家だってお金の向かう先を意識する。これは投資のスタート地点で、ゴールでもあると思う。投資の真髄は生活の中にあり、この姿勢が日常に溶け込んでいけばくそつまらない未来だって少しずつ変えていけるはず
  • 未来がどうなっていたらうれしいか考えて、資産運用が未来の役に立つと思えるなら、それもでかいリターンになる。街が生き物ならお金は血液みたいなもので、俺たちは心臓や血管になっていい街を作るためのいい投資家になることができる。街なのか国なのか地球なのか、枠は各自で決めればいい。なんにしろ、いい未来を作るためには俺たちひとりひとりがいい投資家となることができる
  • 投資だって楽しく暮らすために必要ならやればいいし、なにかを著しく消耗するようならやらなくてもいい。 でも、特別な影響力や発言力を持たない自分がくそつまらない企業たちに背を向けて好きな企業を応援していくには、株式投資のシステムを使わざるを得ない。それに、俺は投資を生活に取り入れることで以前よりも将来に対する不安がなくなったし、お金について苦しく悩むようなこともなくなった。 自分の倫理観に背いたり、自然や他人に過大な負荷をかけることなく、良好な人間関係を持ち、健康で、安全で、余暇を愛せる生活を送りながら、未来に希望を持って生きるために、大いに役に立っている。また、投資は多くの人にとっても有用なものではないかと考えている
  • 価値観がお金で統一されかかっている人たちは平均的な給与や寿命、 GDP で国の幸福度を計測できると本気で考えているし、ほとんどの投資家はお金が減ることを極端に気にしていて、「投資はお金を増やさないと意味がない」と考えている。 タイのチェンマイという街に滞在したときに聞いた話では、バンコクは金銭的に豊かだけど自殺者が増えてきていて、チェンマイは給料が安いけど自殺者はいないらしい。たとえ金銭的に世界一豊かな国になったとしても、幸福な暮らしが行き渡ると保証されるわけではないし、ある程度を超えると、お金の量はあまり重要ではなくなるよう

引用メモ