俺が思い描くパンクというのは、よく漫画や映画に出てくる革ジャンでモヒカンのパンクスとはちょっと違うかもしれない。派手かどうかはどうでもいいし、不良じゃなくても構わない。重要なのは「Do it yourself」と「Anyone can do it」の精神で、つまり自分でやるってことと、誰でもできるってこと。それ以外はなんだっていい
キッチキチの電車に揺られているとついつい忘れちまいそうになるけど、俺たちは効率よく生きるためや、年収を上げて GDP を上げるために生まれたわけじゃない。限られた人生をめちゃくちゃ遊びまくっていい。資本主義にはいいところも悪いところもあるけど、いいところは利用して、悪いところはカバーして、存在しないものは作っていけばいい。自分でやれることはたくさんある。分業が進んだ会社員生活を送っているとつい忘れてしまいそうになるけど、ほとんど全ての物は自分で作ることができる。塩も野菜も家も、人間関係や街の雰囲気、社会や仕組みだって、ほとんどなんでも作ることができる
少なくとも、人間の仕事は産業革命前よりも程度が低い。 IT 革命以降に至っては機械を助ける技術ばかりが向上していて、指はタイピングのためにある。重要なのは効率で、効率のために分業が進む。たとえばコーラの会社に就職しても、コーラの作り方も売り方もわからないまま定年を迎えることになる。クレーム対応やビジネスメールの作り方ばっかり上手くなって、独立の仕方も老後の楽しみ方もわからない。会社仕事は生活に活きることが少ない
うちのタオルはほとんど貰い物のバンドグッズでE.YAZAWAのやつは1枚もないけど、矢沢ファンたちと同じような気持ちで買い物するときもある。よくある。特に本や絵や新品の CD を買うときは、少なからず応援の気持ちがある。誰もが役に立つものしか買わない場合、アートで食える人はいなくなる。そうなれば、俺の地元みたいなくそつまらない街並みが一気に広がってしまうだろう。 野菜を買うときや包丁や鍋を買うときも、借りる家だってお金の向かう先を意識する。これは投資のスタート地点で、ゴールでもあると思う。投資の真髄は生活の中にあり、この姿勢が日常に溶け込んでいけばくそつまらない未来だって少しずつ変えていけるはず
価値観がお金で統一されかかっている人たちは平均的な給与や寿命、 GDP で国の幸福度を計測できると本気で考えているし、ほとんどの投資家はお金が減ることを極端に気にしていて、「投資はお金を増やさないと意味がない」と考えている。 タイのチェンマイという街に滞在したときに聞いた話では、バンコクは金銭的に豊かだけど自殺者が増えてきていて、チェンマイは給料が安いけど自殺者はいないらしい。たとえ金銭的に世界一豊かな国になったとしても、幸福な暮らしが行き渡ると保証されるわけではないし、ある程度を超えると、お金の量はあまり重要ではなくなるよう