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それでも人生にイエスという

メモ

  • もはや、労働が目的のための手段に、生きていく手段に、生きる糧になっているということですらありませんでした。むしろ、人間とその生、その生きる力、その労働力が経済活動という目的のための手段になっていたのです。(中略)生命の価値はなんと低く見られたことでしょうか。人間はどれほどその尊厳を奪われ、貶められたことでしょうか。(pp.5)
  • 存在はいつも、言葉より決定的だからです。そして、かつて私たちは繰り返し自分の胸に聞いてみなければなりませんでしたし、いまもそうです。本を書いたり講演をしたりするより、その内容をそれぞれ自分の存在において実現することのほうがずっと重要ではないだろうか、と。実現されたことは、ずっと効果的でもあります。言葉だけでできることは、あまりにも少ないのです。(pp.14)
  • 私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私達は問われている存在なのです。(pp.27)
  • 私たちは、人生が出した問いに答えることによって、その瞬間の意味を実現することができます。(中略)人生が出す問いは、瞬間瞬間、その人その人によって、全く違っています。(中略)それはたとえば、チェスの世界チャンピオンにインタビューして、「ところで、先生、どういう手が一番いい手だとお考えでしょうか」と尋ねるようなレポーターの質問が、とんちんかんなのと同じです。そもそも、全く特定の、具体的な勝負の局面、具体的な駒の配置を離れて、特定のいい手、そればかりか一番いい唯一の手というものがありうるでしょうか。(pp.29-30)
  • スポーツ選手がすることといえば、困難によって成長するために困難を作り出すことにほかならないではありませんか。(pp.38)
  • あるひとりの人の自伝を判断する基準は、その自伝を叙述した書物のページ数ではなく、もっぱらその書物が秘めている内容の豊かさだけなのです。(pp.48)
  • 「人生それ自体が何かであるのではなく、人生は何かをする機会である!」(pp.58) Friedrich Hebbel
  • 快楽への意思=生理的欲求=体験価値、力への意志=社会的欲求=創造価値、意味への意思=実存的欲求=態度価値

引用メモ