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菜根譚×呻吟語 成功から学ぶのか、失敗から学ぶのか

感じたこと

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内容

  • ここでは人間の生き方を「山の中に咲く花」「花壇の花」「花瓶の花」の三つにたとえて「どれを選ぶのが一番いいのか?」と問いかけているのですが、この条を読むと、彼はけっして富や名誉を否定していたわけではなく、それを得るプロセスにこだわっていたことがわかります。意識して成功を目指したり、権力を使って成功を手に入れようとしたりするのではなく、道徳心を追求するなかで自然に得られた成功こそが素晴らしいのだ、とだけ説いている
  • 苦心中、常得悦心之趣、得意時、便生失意之悲。 苦心の 中、常に心を 悦ばしむるの 趣 を 得、 得意 の時、 便 ち失意の悲しみを生ず。(前集五八) (あれこれと苦心している中に、とかく心を喜ばせるような面白さがあり、逆に、自分の思い通りになっているときに、すでに失意の悲しみが生じている。) ふつうならば、苦しい状況にあるときには「つらい、大変だ」という気持ちになってしまうものですが、『菜根譚』は、そうではない、苦労しているときにこそ、ほのぼのとした喜びがあると言うの
  • 時代によって、治世(世の中が治まっている時代)と乱世(乱れている時代)があります。比較的治まっているときには、角張った生き方をしても、世の中のほうが受け入れてくれるからかまわないが、乱世に角張った生き方をすると、他人と衝突したり、逆に被害を被ったりするので、丸く生きるのが望ましい、と説いています
  • 当時の儒学者たちが「温厚が大切だ」と説いたことに対して、呂新吾は「腐れ儒者だ」と言い放っています。そして、そういう人たちが天下の弊害を甚だしくしているので、 垢 を一度洗い流して新しくする必要があり、それでも駄目ならゼロから作り直すしかない、とまで言い切っています。表現はかなり過激ですが、視点としては正しいと思います。呂新吾は六十二歳のときに政治の乱れを憂えた上奏文を朝廷に提出していますが、この条を読むと、彼が本気で腐敗した社会に憤りを感じていたことがよくわかるでしょう。
  • 「本分」とは「その人が本来果たすべき責務」のことです。官僚や皇帝の本分とは、私腹を肥やしたり、政治的な派閥争いに没頭したりすることではなく、民衆が安心して暮らせる幸せな社会を作ることのはずです。それを多くの人は忘れているのではないか ── とここで呂新吾は憂えているのです。さらに、為政者の立場にあるものだけでなく、すべての人々が本文をわきまえてこそ、国家は安定するとも説いています。なぜなら、それぞれが分を逸脱した行動をとるようになると下克上が起こり、すぐに戦国時代に突入してしまうからです。中国においては長く厳格な身分階級によって社会秩序が守られていましたが、そうした考え方が希薄になってきたことを彼は 危惧していたのでしょう。この条を読むと呂新吾が儒教の徒であった
  • もうひとつ、呂新吾がリーダーの条件として挙げているのが「読書人としての自覚を持つこと」です。この読書人とは、書斎にこもって本を読む人のことではありません。当時は、読書人という言葉は知性が高く社会のリーダーになるような人、「人を教化する立場にある知識人」のことを意味していました。人の上に立つ知識人はどうあるべきかについて書かれた
  • 君子之教人也、能妙夫因材之術、不能変其各具之質。譬之地然、発育万物者其性也。草得之而為柔、木得之而為剛。不能使草之為木、而木之為草也。是故君子以人治人、不以我治人。 君子 の人を教うるや、 能 く 夫 の材に 因るの術に 妙 にして、其の各々 具 うるの質を変ずる 能わず。之を地に 譬 うれば、万物を発育するは其の 性 なり。草は之を 得 て 而 して 柔 と 為り、木は之を得て而して 剛 と為る。草をして木と為らしめて木をして草と為らしむる能わざるなり。是の故に君子は人を以て人を治め、我を以て人を治めず。(広喩篇) (君子が人を教える際は、相手の素質をうまく引き出す巧みな技術によるのであって、それぞれの持っている本質を変えてしまうというわけではない。これを大地にたとえれば、万物を発育させるのはその本性
  • ここまで、人づきあいについてのアドバイスをいろいろと読んできましたが、結局どのメッセージも根底にあるのは「人と争わない」という考え方です。『呻吟語』が人づきあいで最も大切だととらえていたのは「戦わない姿勢」であり、それを自分のなかに育むために「自己修練せよ」と言っている
  • 私たちは、他者と接する場合、どうしても相手より自分を大きく見せようとして競いがちです。富を自慢する人に対しては、自分の方がもっと稼いでいると言いたくなるし、地位をひけらかす人に対しては、自分もそれなりのポストにいることを示したくなります。そうなると無意味な争いが始まってしまいます。同じ土俵にわざわざ上がって、どちらが上かを競ったところで大した意味はないし、お互いに嫌な気持ちになるだけです。それならば同じ土俵に登らないほうがいい、と説いている
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引用メモ