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アーサー・C・クラーク スペシャル

感じたこと

  • センスの良い好奇心、なんていう良い言葉なんだろうか。
  • 科学は誰かが発見したはず。芸術は自分しか発見し得ない。

内容

  • ガーンズバックは未来の科学技術がどうなるかといった予測小説を書いた人で、当初のSFとはつまり「ぼくのかんがえた未来社会」を読者にわかりやすく提示するための物語装置
  • そういう方にこそいまクラークを手に取って、科学技術と物語の豊かな未来を目にしていただきたいのです。クラークはSF界きっての名文家でした。独特のユーモアも持ち合わせていました。そして何より、本当に美しいものをきちんと美しく書ける 稀有 な才能の持ち主でした。
  • ぼくは本書をお読みの皆様に、「センスのよい好奇心」を育み続けることが生きる上で何よりも大切なのだ、とお伝えしたいのです。 たんに「好奇心を持つ」だけでは充分ではありません。「 センスのよい 好奇心」こそが、科学や文学の垣根を取り払って未来をつくることができる、ぼくたち人間のかけがえのない力だといいたいのです。誰もが「センスのよい好奇心」を育むことはできる
  • SF雑誌やステープルドンの著作により、すでに物語の翼をはばたかせる術を学んでいたクラークですが、『宇宙の征服』を読んで「芸術と科学との根本的な差異」に気づくことにもなりました。『最後にして最初の人類』はステープルドンにしか書けなかっただろうが、『宇宙の征服』に類似した本はラッサーがいなくてもいずれ誰かが書いただろう、とエッセイのなかで述べられているのは興味深いところです。文学のヴィジョンは特定の人にしか生み出せないが、科学技術のヴィジョンは時機が来れば人類のどこかから必ず生まれてくる──皆様はどう思われますか? クラークの生涯の功績はどちらだったのでしょう? 文学や科学技術の創造性について、本質的な問いかけがここにあると思いませんか
  • 探検したい、発見したい、〝沈みゆく星のような知識を追求〟したいという衝動は、人間にとって基本的な衝動であり、それが存在するということのほかに弁明は不要であり、受け入れるしかない。現代の中国の哲学者によれば、知識の探求は遊戯のひとつの形である。これが真実であれば、宇宙船が実現した 暁 には、究極のおもちゃとなって、人類を宇宙とは隔絶した託児所から星の海という遊び場へ連れだしてくれるかもしれない……。とすれば、これがわれわれの前に横たわっている未来だ。われわれの文明が、幼年期の疾病を生きのびられたらの話
  • 「人類スゲー小説」には、まったく異なる二つの面があります。第一に、未来を切り拓こうとする意志を醸成してくれる。これを読んで宇宙工学を志す人もいるでしょうし、そんな 大袈裟 な話でなくても、目の前の困難や障害に立ち向かう気力が出てきた人もいるはずです。これは小説の素晴らしい効用です。 一方、読者を無条件に肯定する「人類スゲー小説」には、麻薬的な魅力がある。これが第二の面です。読書することで得られる「特別感」とは、うまくつき合わなければなりません。たとえば、本作における「人類はすごい」という素朴かつ強烈な感動は、「この小説の感動がわかるおれってスゲー」という自己肯定感へと転換されてしまう危険性があり、しかもこの感動がわかる者同士で強く結束したいという欲求が高まれば、比較政治学者ベネディクト・アンダーソンが指摘した「想像の共同体」──ある種のナショナリズムとなる可能性もあるわけです。

引用メモ