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信長の正体 (文春文庫 ほ 25-2)

感じたこと

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内容

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引用メモ

  • 私が師匠で東京大学名誉教授の石井進 先生に厳しく教えられたのは、何かを批判する 際は「では、君はどう考えるのか」と問われたときに、きちんと答えられるように用意 をしておけということだった。そうでなければ、批判のための批判になってしまうからだ。
  • キリスト教の布教のために来日した宣教師のレポートを読むと、キリスト教にとって 悪魔の教えは禅宗だと説いている。禅宗は「無」を強調する。私たち日本人は無に深遠 思想性を見出すが、宣教師たちからすれば、無とはゼロであり、ニヒリズム以外の何 がたき 物でもなかった。このため、宣教師たちは悪魔の教えだと認識して嫌悪したのである。
  • これに対して、キリスト教にとって商売敵になるのが一向宗だと書かれている。神を 信じて善行を重ね、天国に行きなさいというのがキリスト教の教えだが、それは南無阿 弥陀仏と唱えて極楽浄土に行きなさいという一向宗の教えに似ている。
  • 人々が願ったのは、国がひとつにまとまることで戦乱が終息し、平和な世の中が到来 することだった。だから、江戸時代は何よりも平和を尊ぶ時代となった。その時に打ち 捨てられたのが平等の概念であった。平等は一時「棚上げ」されたかたちになったのだ。 信長は平和の実現、すなわち戦乱の世の中を終わらせるために行動した。その目的に とって平等の価値観を目指す一向宗は邪魔だったために、一向一揆との熾烈な争いを繰り広げた。
  • ヘーゲル:自由とは所有の権利である
  • それまでは戦に勝利したとき、高田太郎兵衛が戦奉行的な担当者のところに行き、 「私どもは戦死者が〇人、負傷者が一人。敵の首をこれだけ取りました」と報告するの が常であった。負傷者であれば、「ここを見てください。この者は左足の腿を撃たれ、 重傷です。 この者は右肩に矢傷を負いましたが、軽傷です」などと報告したわけだ。
  • その報告に基づいて、その戦奉行的な担当者は「おまえたちは五人も死者を出してま で戦ってくれたのか。では、褒美をこれだけ出そう」と言って、高田太郎兵衛に褒美を 与えたと考えられる。
  • もし高田隊が戦場に行ったとき、「鉄砲を持っている者はこちらへ」「槍を持っている者はこちら」「馬に乗っている者はこちら」とバラバラにされた場合、高田隊の成果と いうものがわかりにくくなり、褒美を与えるのが難しくなってしまう。そうであれば、 多くの戦国大名の下では槍、弓、鉄砲、騎馬と兵種別に編成して軍事行動をすることは なかった可能性が高い。
  • 一方、長篠の戦いにおける信長軍では兵種別編成が完全にできていたかどうかはわか らないものの、少なくとも鉄砲隊はまとめて運用されている。そのことから、ある程度 のところまでは兵種別編成ができていたと考えるのが自然であろう。