感じたこと
内容
引用メモ
アントレプレナーシップ研究においては、起業家の定義が、「事業機会の認 (opportunity recognition)」に収厳しつつある中、マーケティングにおける 市場の発見や創造の概念にきわめて近く、学問分野の垣根を越えた取り組みの 必要性が高まっている。同時に、市場は「発見される」ものではなく「つむぎ 出される (fabricated)」ものである、と考えるエフェクチュエーションは、「市 場というものが存在する」という前提に立つフィリップ・コトラー流の伝統的 なマーケティング・マネジメントに対するアンチテーゼの側面もある。特定の ニーズを持つ消費者は 「交換の前提」ではなく、交換を通じて構築されるもの であるという同様の指摘は、石井淳藏教授(流通科学大学学長)による「マー ケティングの神話」以降、日本のマーケティング研究でもなされてきた議論と も共通するものであり、アントレプレナーシップ研究で生み出された概念が マーケティング研究にも接続される可能性がある。本書の翻訳プロジェクト は、多様な自発的な関与者による、まさに「クレイジー・キルト」と呼ぶべ き、分野を超えたエフェクチュアルなパートナーシップによって実現された。 本書で示される起業家的熟達の要素は、Shaneの 「起業機会(entrepreneurial opportunities)」に関する理論と、重なる部分と異なる部分があるが、Shane と Venkataraman (2000) による、「アントレプレナーシップをより良く理解する ためには、アントレプレナーシップに富んだ 「個人」 と価値ある 「機会」の関 係を、一体のものとして理解する必要がある」という主張に、私は全面的に賛 成する。さらに、熟達したアントレプレナーシップは、アントレプレナーシッ プ研究の鍵となる部分である、Shaneの「手段目的(means-ends)」 の図式へ の関心と通じるところがある。ただし、本書で後述するように、彼が用いる起 業家のフレームワークとは根本的な相違がある。Shaneが想定する起業家は機 会の「発見(discovery)」 と 「活用 (exploitation)」 に従事するものであるのに 対し、エフェクチュエーションに基づく起業家は、起業家の人生や価値に基づ いた平凡な現実からスタートし、最終的には機会を 「つむぎ出す」 存在として 捉えられるのである。 プロセス要素 ●熟達した起業家は、「自分が誰であるのか (who they are)」、「何を知って いるのか (what they know)」、「誰を知っているのか (whom they know)」からスタートし、すぐに行動を起こし、他の人々と相互作用をしようとす る。 ●彼らは、自分ができること (what they can) にフォーカスして、実行 (do)する。何をすべきか (what they ought) については、思い悩むこと はしない。 ●彼らが交流する人々の一部は、自発的にそのベンチャーにコミットし、プ ロセスに参画する。 ●上記のコミットメントの1つひとつは、新しい手段 (means)と目的 (goals) をそのベンチャーにもたらす。 ●ネットワークの拡大で資源が蓄積されるにつれ、制約条件が付いてまわる ようになる。その制約条件は、将来の目的変更の可能性を減じ、誰が関与 者のネットワークに入って良いか/良くないかを制限する。 ●関与者が増えるプロセスが時期尚早に停止しない限りは、ゴールやネット ワークは、新しい市場や企業へと同時発生的に収束する。 原則 「手中の鳥」の原則この原則は、「目的主導(goal-driven)」 ではなく、「手段主導(means- driven)」の行為の原則である。ここで強調されるのは、所与の目的を達成す るために、新しい方法を発見することではなく、既存の手段で、何か新しいも のを作ることである。 「許容可能な損失」の原則この原則は、 ・プロジェクトからの期待利益を計算して投資するのではなく、 どこまで損失を許容する気があるか、あらかじめコミットすることである。 「クレイジーキルト」の原則この原則は、機会コストを気にかけたり、精緻な競合分析を行ったりするこ となしに、(コミットする意思を持つ) 全ての関与者と交渉をしていくことに 。さらに、経営に参画するメンバーが、企業の目的を決めるのであ り、その逆ではない。 「レモネード」の原則この原則は、不確実な状況を避け、克服し、適応するのではなく、むしろ予 期せぬ事態を梃子として活用することで、不確実な状況を認め、適切に対応し ていくことを示している。 「飛行機の中のパイロット」 の原則この原則は、技術トラジェクトリーや社会経済学的トレンドのような外的要 因を活用することに起業家の努力を限定するのではなく、エージェンシーとし ての人間に働きかけることを、事業機会創造の主たる原動力とすることを示し ている。 上記5つの原則は、「非予測的コントロール(non-predictive control)」のテ クニックを具体化したものである。つまり、不確実な状況をコントールするに あたり、「予測をもとにした戦略 (predictive strategy)」 の使用を減らすことを 志向する。これらの原則は、総体として、「エフェクチュエーション」と呼ば れる行為の論理を示している。 「エフェクチュエーション」は、「コーゼーション」の反意語である。コー ゼーションに基づくモデルは、「作りだされる効果 (effect to be created)」から スタートする。そして、あらかじめ選択した目的を所与とし、その効果を実現 するために、既存の手段の中から選択するか、新しい手段を作り出すか、を決定する 持っているロジック ここで、論理(ロジック)とは、「 「世界で行為するための明確な基盤となる 内的に一貫した考え」を意味するが、コーゼーションの論理 (causal logic) の前提は、「未来を予測できる範囲において、われわれは未来をコントロール (制御)することができる」というものである。一方、エフェクチュエーショ ンの論理の前提は、「未来をコントロール (制御) できる範囲において、われ われはそれを予測する必要がない」 というものである。エフェクチュエーションの論理を用いることは、以下のような世界観や立場 を支持することを意味している。 ●エフェクチュアルな行為者は、世界をオープンで、「作られつつあるもの (in-the-making)」と見る。彼らは、人間の行為の真の役割を見出し、そし て、企業や市場を人間が作ったもの(人工物)とみなす。この意味で、 フェクチュエーションは、「社会科学 (social science)」ではなく、「人工物 の科学 (science of the artificial)」 である (Simon, 1996)。 ●エフェクチュアルな行為者は、機会を所与のもの、彼らのコントロール外 の存在として見ることは滅多にない。多くの場合、機会を認識・発見する ためだけでなく、機会をつむぎ出すためにも、彼らは尽力する (Sarasvathy et al, 2003)。 ●エフェクチュアルな行為者は、企業や市場を手段として見ることがしばし ばある。彼らは、企業のエージェントや、需要に対するサプライヤーとし て行為することはしない。企業は、彼ら自身に価値をもたらし、彼ら自身 の世界を創造するための手段である。市場は発見される (found) よりも 創られる(made)、という色合いが強く、顧客を含む多様な関与者は、自 らが作り出している冒険のパートナーとして位置付けられる。 ●エフェクチュアルな行為者は、失敗を避けようとするのではなく、成功を 引き起こそうとする。このことは、「失敗は成功するベンチャーの不可欠 な一部である」という認識を必然的に伴う。彼らの失敗に対する積極性 (willingness to fail) により、エフェクチュアルな行為者は、成功と失敗についての時間的な事業ポートフォリオを作り、失敗案件を小さいままに留 めたり、早めに潰したりして、失敗を生き抜くことを学習し、継続的な投 資を通じて成功案件を積み重ねる。エフェクチュエーションの世界観で は、「成功/失敗」 はブール代数(Boolean variable) ではない。また、起 業家個人の「成功/失敗」は、企業の 「成功/失敗」と、必ずしも等しく はない。 最初にデータから浮上してきたテーマは、「熟達した起業家は、マーケット リサーチを信用しない」ということだった。ここで言及する「マーケットリ サーチ」は、教科書的な意味であり、サーベイ調査やフォーカスグループ、そ の他の潜在的需要を予測する体系的試みを指している。しかし、それはどうし てなのだろうか? 熟達した起業家は、代わりに何をするのだろうか? この 点について、再度、データに分け入っていくことで、より大きな問題が明らか になってきた。つまり、調査協力者たちは、体系的なマーケットリサーチの効 果をはっきりと否定していた。そして意識的・無意識的に、意思決定における 未来の予測に対して、明らかな不信感をもっていたのである。このことは、 「未来を予測することなく、どうやって意思決定をするのか?」 という新たな 疑問を生じさせた。そして、この新しい疑問を武器に、私は手持ちのデータを 使って検証すべき仮説を開発し始めたのである。 ロジックを、世界で行為するための明確な基盤となる内的に一貫した考え、と考えるの、いいな。 コーゼーション、未来を予測できる範囲において、我々は未来をコントロールすることができる エフェクチュエーション、未来をコントロールできる範囲において、我々はそれを予測する必要がない。 シンク・アラウド法、どこかで試したい研究法だ。 エフェクチュエーションの論理は、デザインの論理であって、チョイス・選択の論理ではない。 全体としてエフェクチュエーション的であり、ミクロにコーぜーション的である。MECEへの違和感、そういうことなんや。 「特定の結果を生み出すために、選択肢の中から手段を選ぶこ と」に対して、「特定の手段を使って、可能な結果をデザインすること」とい う違いである。