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宇宙に命はあるのか 人類が旅した一千億分の八

メモ

  • 「何かを不可能と決めつけるのは無知のせいにすぎないと、科学は教えてくれた。個人においても、何が限界か、何が手が届く範囲にあるのかは分からない。どれだけ成功できるかは真摯に挑戦するまでわからない。勇気が持てぬなら思い出してほしい。全ての科学もかつては幼かったことを。科学は繰り返し証明してきたのだ。昨日の夢は今日の希望となり、明日の現実となる(197)
  • 技術とは天才の脳から勝手に湧き出るものではない。技術開発には金が要る。一九六〇年代に宇宙開発が爆発的に進んだのも、ひとえに莫大な資金が投入されたからである。スプートニクからわずか四年後の一九六一年、世界初の宇宙飛行士ガガーリンがコロリョフのR7ロケットに乗って宇宙へと飛び立ち、「地球は青かった」という詩的な言葉を持ち帰った。その三週間後、アメリカ初の宇宙飛行士アラン・シェパードが、フォン・ブラウンのレッドストーン・ロケットで宇宙へのサブオービタル飛行を行った。(638)
  • イマジネーションとはウイルスのようなものだ。ウイルスは自分では動くことも呼吸をすることもできない。他の生物に感染し、宿主の体を利用することで自己複製して拡散する。イマジネーションも、それ自体には物理的な力も、経済的な力も、政治的な力もない。しかしそれは科学者や、技術者や、小説家や、芸術家や、商人や、独裁者や、政治家や、一般大衆の心に感染し、彼ら彼女らの夢や、好奇心や、創造性や、功名心や、欲や、野望や、打算や、願いを巧みに利用しながら、自己複製し、増殖し、人から人へと拡がり、そして実現するのである(671)
  • イマジネーションとは見たことのないものを想像する力だ。常識の外に可能性を見出す力だ。翼を持たぬ人間が青い空を見上げて飛ぶことを夢見る力だ。目には今存在するものしか映らない。だが、目を瞑り、常識から耳を塞ぎ、代わりに想像力の目をイマジネーションの世界へ向けて開けば、今ないものをも見ることができる。現在だけではなく未来も見ることができる。 フォン・ブラウンの想像力の目には 見えて いたのだ。高さ110メートル、重量3000トンもある巨大なロケットが、豪炎を吐きながら空へと昇って行く姿が。 ハウボルトの想像力の目には 見えて いたのだ。男女がダンスするように二台の宇宙船が月軌道で手を取り合いランデブーする姿が。そしてそれこそが人類を月に送り込むためのもっとも現実的な方法であることが。 ハミルトンの想像力の目には 見えて いたのだ。人間とコンピューターがお互いの弱みを補い合い、二人三脚で宇宙を飛ぶ姿が。そしてソフトウェアという新技術が切り拓く無限の可能性が。(1108)
  • だが、そんな僕でもボイジャーのグランド・ツアーには運命的なものを感じずにはいられない。木星、土星、天王星、海王星が狙ったかのようなタイミングで同じ方向に並んだことは、もちろん科学的には偶然以上の意味はないが、まるで惑星が人類を招いているようだと僕は感じてしまう。もしかしたら、宇宙は人類に知られることを欲していたのかもしれない。惑星は孤独の宇宙に何十億年も漂いながら、来訪者を待ち焦がれていたのかもしれない。古の人が夜空の星に感じた「運命」とは、もしかしたらそういうことなのかもしれない(1461)
  • 「仕掛け人」の一人がミッション・デザインを担当したJPL技術者ロジャー・バークだった。彼は言った。 「これは技術者の官僚主義に対する小さな勝利だったと思うよ、全人類への恒久的な利益のための。」(1650)
  • もちろん、その答えを知ったところで、誰の暮らしも物質的に豊かにはならない。スマホの機能が充実するわけでもなく、車をより安く買えるようになるわけでもなく、あなたの貯金が増えるわけでもなく、飢えた子供を救えるわけでもない。その答えを追うことは無意味だろうか? もし無意味と断ずるならば、地球に留まり、物質的豊かさのみを追求するのもまた人類の生き方だと思う。 でも、僕は知りたい。あなたも知りたくはないだろうか? なぜ知りたいのか、と問われれば困るかもしれない。旅に出たい衝動と似ているかもしれない。心の奥深くで何かが「行け」と囁くのだ。きっと人類の集合的な心の奥深くでも、何かが囁いているのだ。「行け」と。あの「何か」が。(2085)
  • 「自分が生きているうちに見たい」と思うのかもしれない。僕もそう思う。しかし、一人の実業家のエゴは一つの惑星よりも重いのだろうか? 四十億年の冬をじっと耐え抜いた火星生命の命は人類の夢よりも軽いのだろうか? 人類は宇宙の前に、自然の前に、そこまで偉いのだろうか? 謙虚さを忘れてはいないだろうか(2164)
  • カール・セーガンはこれをPale Blue Dot(淡く青い点)と呼んだ。この写真にインスパイアされて書かれた彼の著書"Pale Blue Dot”に次のような一節がある。 もう一度、あの点を見て欲しい。あれだ。あれが我々の住みかだ。あれが我々だ。あの上で、あなたが愛する全ての人、あなたが知る全ての人、あなたが聞いたことのある全ての人、歴史上のあらゆる人間が、それぞれの人生を生きた。人類の喜びと苦しみの積み重ね、何千もの自信あふれる宗教やイデオロギーや経済ドクトリン、すべての狩猟採集民、すべてのヒーローと臆病者、すべての文明の創造者と破壊者、すべての王と農民、すべての恋する若者、すべての母と父、希望に満ちた子供、発明者と冒険者、すべてのモラルの説教師、すべての腐敗した政治家、すべての「スーパースター」、全ての「最高指導者」、人類の歴史上すべての聖者と罪人は、この太陽光線にぶら下がった小さなチリの上に生きた。 地球は広大な宇宙というアリーナのとても小さなステージだ。考えてほしい。このピクセルの一方の角の住人が、他方の角に住むほとんど同じ姿の住人に与えた終わりのない残酷さを。彼らはどれだけ頻繁に誤解しあったか。どれだけ熱心に殺しあったか。どれだけ苛烈に憎しみあったか。考えてほしい。幾人の将軍や皇帝が、栄光の勝利によってこの点のほんの一部の一時的な支配者になるために流れた血の川を。 我々の奢り、自身の重要性への思い込み、我々が宇宙で特別な地位を占めているという幻想。この淡い光の点はそれらに異議を唱える。我々の惑星は宇宙の深遠なる闇に浮かんだ孤独な芥だ。地球の目立たなさ、宇宙の広大さを思うと、人類が自らを危機に陥れても他から救いの手が差し伸べられるとは思えない。(2194)
  • 地球は現在知る限り命を宿す唯一の星だ。少なくとも近い将来に、我々の種族が移民できる場所は他のどこにもない。訪れることはできるだろう。移住はまだだ。好もうと好むまいと、いまのところ、我々は地球に依存せねばならない。 天文学は我々を謙虚にさせ、自らが何者かを教えてくれる経験である。おそらく、このはるか彼方から撮られた小さな地球の写真ほど、人間の自惚れ、愚かさを端的に表すものはないだろう。それはまた、人類がお互いに優しくし、この淡く青い点、我々にとって唯一の故郷を守り愛する責任を強調するものだと私は思う。(2209)

引用メモ