感じたこと
内容
引用メモ
知性を欠く人間の狡猾さと、怠惰な人間の狂気的な活力
人間にとって価値のある分のものを入手できるが、それ以上のものを手にすることはできないのです。お金は、商人同士が互いの利益になると自主的に判断したときにだけ取引を成立させます。お金の存在によってあなたは、人は自分を傷つけるためでなく豊かになるために、損失ではなく利益のために働くと認識せざるをえなくなります。それは、人は不幸の重荷を担くために生まれた動物ではなく、相手には傷ではなく価値を差しださねばならず、人間の絆は苦悩の交換ではなく良いものの交換だという認識です。お金があなたに要求するのは、人の愚かさにつけこんでおのれの弱みを売ることではなく、理性に訴えて才能を売ること、人から差し出された粗悪品ではなく、お金の許すかぎり最上のものを購うことです。そして人が武力ではなく理性を最終的な仲裁者とする取引によって生きるときに勝つのは、最高の商品、最高のパフォーマンス、もっとも優れた判断力と能力をもつ人間であり1人は生産に応じた報酬を受け取るようになります。これがお金を道具と象徴とする存在の規範です。これをあなたがたは邪悪だと考えるのですか?
「僕が言うのは、あなたの僕についての判断に関してだけではありません。あの女性と彼女のような人びとは、考えたほうがよいとわかっている思考を避けつづけています。あなたは考えてはいけない悪い思考だと思えば頭から払いつづける。かれらは手間をはぶきたいがためにそうする。あなたは自分を甘やかそうとは考えもしないからそうなさる。かれらはいかなる犠牲を払っても感情に溺れたがる。あなたはいつでも問題があれば真っ先に自分の感情を犠牲になさる。かれらは何に耐える気もない。あなたは何にでも耐えようとなさる。かれらは責任を逃れつづけている。あなたは責任をとりつづけておられる。しかしながら、本質的な過ちは同じだということがおわかりになりませんか?いかなる理由であれ、現実の認識を拒否すれば悲惨な結果に終ります。よこしまな考えというのはたった一つ、思考を拒否することです。リアーデンさん、あなた自身の欲望を無視してはいけません。それを犠牲になさってはいけません。かれらの主張を吟味することです。人が耐えなければならない重荷には限界があります」
ハンク、あなたが与えたいと思うもののほかには何もほしくない。わたしのことを商人と呼んだことがあるのを覚えている?あなたには自分自身の楽しみのほかには何も求めないでわたしのところにきてほしいの。どんな理由があっても、あなたが結婚生活を続けたいと望む限り、わたしには腹をたてる権利はないわ。あなたから得る悦びが、苦しみじゃなくて、わたしが与える悦びで償われていると確かめるのがわたしの取引のやりかたなの。わたしは犠牲を受けいれないし捧げもしない。私があなたから得た以上のものを求められたら、断るでしょう。鉄道をあきらめろと言われたら、あなたを捨てるわ。ひとりの快楽をもうひとりの苦しみによって購わなければならないのだとしたら、取引なんてしないほうがまし。一方が利益をえてもう一方が損をする取引は詐欺よ。ハンク、あなたは仕事でそんなことはしない。だから自分の人生でもやらないで
あんな法律を守ってほしいなんて思うものですか」フェリス博士がいった。「破ってほしいのです。あなたの相手はボーイスカウトのガキじゃありません。きれいごとですむ時代じゃない。我々は権力がほしい。本気です。そちらはけちな賭けにでたが、本当のタネがわかっているのは我々です。だから賢くなったほうがいい。潔白の人間を支配する方法はありません。あらゆる政府の唯一の権力は犯罪者を取り締まる力です。で、犯罪者が足りないときはそれを作るのです。何もかも犯罪だときめれば、法律を破らずに生きていくのは不可能になる。誰が法規に従順な市民国家を望みますか?そんなもの何になります?だが順守も、施行も、客観的な解釈も不可能な法律を通過させれば1法律破りの国家ができるーそこで罪悪感につけこむのです。さあ、リアーデンさん、それが制度です。駆け引きです。いったんそれを理解いただければ、あなたはずっと取引しやすくなるでしょう」
私は自分の利益のためだけに働く。それは私の製品を必要とし、それを好んで購入する人びと、購入できる顧客に売って得る利益だ。私が顧客に得をさせるために損失を覚悟で生産することはないし、顧客が私に儲けさせようと損をしてまで購入することもない。私は顧客のために自分の利益を犠牲にはしないし、私のために顧客が自分の利益を犠牲にすることもない。われわれは対等な立場で、合意によって、相互利益のために取引をする。こうして稼いだーセントーセントを私は誇りに思う。私は金持ちであり、全財産を誇りに思う。私は汗を流して、自由な交換のなかで、取引に関わる全員との自主的な合意を通じて金を稼いだ。それは働き始めたときには私の雇用主との、いまは私の下で働く者たちと、私の製品を買う人びととの自主的な合意だった。きみたちが堂々とたずねようとしない質問すべてに答えよう。私は従業員の仕事の価値以上の給料を払いたいと思っているだろうか?思っていない。顧客が喜んで支払う金額を下回る代金で製品を売りたいと思っているだろうか?思っていない。損失を出して売ったりただで与えたりしたいと思っているだろうか?思っていない。これが悪いことだというなら、きみたちの基準に従って、私を好きなように始末しなさい。これは私の基準だ。私は、すべて正直な人間がそうあるべく自分で生計をたてている。自分が生きているという事実と、自分の生活を支えるために働かなければならないという事実を罪として受け入れることを私は拒否する。そうして働くことができる、人よりうまくできるという事実を罪として受け入れることを、私は拒否する。
そうした作業は求めていた安らぎを与えてくれた。自分がなぜ、どのように始めたのかは覚えていない。これという意図もなく始めたが、それは彼女の手もとで育ち、彼女を前に引っ張り、落ち着いたいやされるような感覚を与えてくれた。やがて彼女は、自分に必要だったのはある目的に向かう動きであり、どれほど小さくとも、どのような形であっても、特定の期間にわたって選ばれた目標に一歩一歩進んでいく行動の感覚だったのだと悟った。料理という作業は閉ざされた円のようであり、完成されては消えて、どこにも続かない。だが道を築く作業は結果が積み上げられていき、どの一日も過去に消えることはなく、毎日がそれ以前のすべての日々を含み、毎日がそれに続くすべての明日において不滅になった。円は自然にかなう運動であり、私たちの周囲の無生物界にあるのは円運動だけだと人は言うけれど、直線が人間の記章なのだ、と彼女はおもった。