感じたこと
内容
引用メモ
しかし、時代がどのように変わろうとも人間の本質は変わらない。必要なことは「人間とは何か」「人生とはいかにあるべきか」「人間として何が正しいのか」など、人間としてもっとも基本的な倫理、哲学を真剣に探求することであり、その中で自己の存在意義を確認し、自らの人生の指針としての哲学を確立することである。
オレンジ色のハイライト | 位置: 251
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時代がどう変わろうとも、人間の本質は変わらないのです。誰しも人間は人生で善きことを追求し、後世に何か価値のあるものを残すことによって、「永遠性」を達成したいのです。「仕事に打ち込んで、世の中の役に立つことができました。私は幸せです」と言えるような満ち足りた人生を送ることを誰もが望んでいるのです。
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人生の旅路には近道も、また楽々と飛んでゆける魔法の 絨毯 などもないのです。自分の足で、一歩ずつ歩いていかなければならないのです。このまどろっこしい、慎重なやり方では、長い道のりを歩き続けるのは不可能に見えるかもしれません。このペースでは偉大なことなど決して成し遂げることはできないと思い始めるかもしれません。それでも、焦ってはいけません。 小さな歩みの一歩一歩が積み重なり、相乗効果を生み出していきます。日々の地道な努力が生む小さな成果は、さらなる努力を生み出す原動力となるのです。そしてこの努力は、さらにより大きな結果をもたらします。あきらめずに続けてゆけば、いつか信じられないほどの高みにまで私たちを運んでくれるのです。
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人生の結果=考え方 × 熱意 × 能力
オレンジ色のハイライト | 位置: 458
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誰でも、現在自分が持っている能力を考えて、今、何ができて何ができないかということは判断できます。しかし、新しいことを成し遂げようとする時、それだけでは不充分なのです。現時点ではとうてい実現不可能だと思えるようなことを何とか成し遂げようとする努力からのみ、驚くような成果が生み出されるのです。 新しく、価値あることを成し遂げようとする人は、自分の力を現在のレベルと未来のレベルの両方から見ることができなければなりません。
オレンジ色のハイライト | 位置: 476
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生まれながらにして人格ができている人はほとんどいません。はじめは、自分が持っている才覚や能力や闘争心のために成功することもできるのです。しかし、事業を成功させ続けるためには、心を高め、徳のある人格を築き上げていかなくてはならないのです。
オレンジ色のハイライト | 位置: 613
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忙しい毎日を送っている私たちは、その忙しさの中で自分を省みることを忘れ、ただやみくもに仕事をこなすだけで一日を終えてしまいがちですが、そのような日々を送るだけでは、決して自分の人間性を向上させることはできません。自分の心を高めようと思うなら、自分に対する厳しい反省が必要なのです。 反省のある人生を送らなければ、成功そのものが没落のきっかけにもなりかねないのです。
オレンジ色のハイライト | 位置: 733
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これが正しい道だと固く信じているのであれば、その道がどんなに険しかろうと、どんな悪天候に遭遇しようと、その道をまっすぐ頂上まで登るべきだと、私は心に決めたのです。それ以来私は全員が一緒に頂上に到達できるように、他人へと同様、自分にも常に厳しい姿勢で臨み続けました。 安易な道はたいていの場合、ゴールへ導いてくれないのです。
オレンジ色のハイライト | 位置: 759
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しかし、私は間違っていました。自分が信頼される人間にならないと、本当の信頼関係は築けないことに気づいたのです。第一に自分自身の心がほかの人たちから信頼されなければ、仲間でさえ引き付けることはできないのです。信頼関係は自分自身の心の反映だったのです。
オレンジ色のハイライト | 位置: 827
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物事に筋が通っているか、すなわち、道理にかなっているかどうかを判断するためには、単に論理的に矛盾がないかということだけではなく、それが人としてとるべき道に照らし合わせて、不都合がないかということの確認が必要なのです。頭の中だけで軽々しく判断するのではなく、人間のもっともベーシックな部分にまで立ち返ってみて、真剣に熟考し判断すべきなのです。
オレンジ色のハイライト | 位置: 831
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筋」または「フィロソフィ」を持たない人は価値ある事を達成することはできないでしょう。なぜならその人には、自分の判断の基準となる、正しい原理原則がないからです。「フィロソフィ」を持っている人は多くの事を達成できます。なぜなら「フィロソフィ」は自分自身を正しい方向へ導く羅針盤となるからです。 自らの内にある「フィロソフィ」が、私たちを正しい意思決定へと導いてくれるのです。
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,063
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月並みな言葉ですが、ビジネスで利益をあげる方法は、「お客様によろこんでいただく」こと以外ほかにはありません。しかし、中には「利益」の本来の意味を誤解して、自らの利益のためだけにビジネスを営む会社もあります。
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,175
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私はいつも、「土俵の真ん中で相撲をとれ」と言っています。土俵ぎわに追いつめられるまで待たず、余裕を持っている時に必要な行動を起こせ、という意味です。
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相撲では、自分の足が土俵ぎわに届いて、今にも土俵の外に放り出されてしまいそうになるまで何もしない力士を見かけることがあります。そうなってから、本腰を入れて戦い始めるのです。私は、どうして彼らは土俵の真ん中にいるうちにその力を発揮しないのかと、不思議に思っています。
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,399
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私が学んだことは、何か事を起こす時は、まず思い込まなければならないということです。「これが理想的であることはわかっているけれど、現実にはそんなことは不可能だ」と自分に言い続けていたら、何も起こせはしないでしょう。 信じていないもののために努力することはできないのです。 強烈な願望を描き、心からその実現を信じることが、困難な状況を打開し、物事を成就させるのです。
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,444
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もし、自分がたまたまそういう才能を持っていたとしても、その才能は世界のため、社会のため、そして集団のために使うべきなのであり、決して自分だけのために使うべきではないのです。たとえば、リーダーシップという才能を持って生まれた人は、リーダーとしての義務を果たさなければなりません。才能を与えられているからといって、決して 傲岸 不 になってはならないのです。 人は、天賦の才を決して私物化してはなりません。むしろ、謙虚になり、集団のためにその才能を使うべきなのです。
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,626
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「一流の知性とは、二つの相対立する考えを同時に心に抱きながら、しかも正常に機能し続けられる能力である」と、アメリカの作家、F・スコット・フィッツジェラルドが言っています。 つまり、「泣いて 馬謖 を斬る」という言葉があるように、経営者には、人情味あふれるものを持ちながらも、冷酷なまでに厳しくなければならない時があるのです。 ひとつの人格の中に、相反する両極端をあわせ持ち、局面によって正常に使い分けられるのが、バランスのとれた経営者なのです。
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,652
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たとえば、親が子供を甘やかすあまり、子供は自分では何もできないようになってしまい、成長するに及んで人生を誤ってしまうということがあります。それとは逆に、厳しい親に育てられた子供は、自分を鍛錬することを学び、人生における成功者になるということがあります。前者を小善、後者を大善と言います。
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,832
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ですから私は、イノベーションに必要な要素を持っていなければ、「チャレンジ」という言葉は口にしてはならないと思います。それは困難に立ち向かう勇気、長期の苦労にも耐え得るスタミナなどの裏づけがあって初めて口にできる言葉なのです。 このような要素を全く備えていないのに、「チャレンジ」という言葉を使う人を、日本では「 蛮勇」をふるう人と言うのです。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,007
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真にクリエイティブなインスピレーションは、神からの啓示を願うほどの切羽つまった状況、そして謙虚で真摯な態度からしか生まれてこないのです。そのためには、まず困難に真正面から取り組む姿勢が必要です。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,157
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夢に酔っていればこそ、それを実現させる情熱が湧いてくるのです。 当然のことながら、実際にその事業に着手したらいつまでも夢に酔っているのではなく、すぐに「しらふ」の状態に戻らなければなりません。スタートした瞬間から、理性的に判断し、無用な危険を避け、実際的な方策について考え尽くし、仕事を成功に導くようにしなければならないのです。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,309
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状況の奴隷になってしまうと、状況が悪いことを理解し、自分の夢が非現実的であったという結論を出すだけになってしまいます。しかし強い願望を持っている人は、問題を解決するために創意工夫と努力を始め、目的に到達するまで、決してあきらめないのです。 つまり、目的に向かって進んでいく人、挫折を重ねていく人、そしてだらだらと一生を終えてしまう人の、一番の大きな差は、この願望の強さなのです。