感じたこと
内容
引用メモ
それ以外の人々は、この物語の教訓について考えてみてほしい。ときに他人は他人のまま、他人同士で最高の会話を愉しむことができる。
どちらの側もそれなりに正しかった。米国社会の機能不全について説明するとき、偏見と無能さというキーワードはおおいに役立つものだ。けれど、偏見や無能さのせいだという診断が下されたとき、人々はそれ以上の努力をしているだろうか? 「次回はもっとがんばろう」と心から誓う以外、何か対策をしているだろうか? 保守派は「悪徳警察官がいる」という解釈を好み、リベラル派は「偏見に満ちた警察官がいる」という解釈を好む。最後には、両者は互いの主張を打ち消し合ってしまう。この国では、警察官がいまだ人を殺している。しかし、それらの死が大々的に報道されるブームの時期は過ぎた。私たちはある時点でいったん立ち止まり、サンドラ・ブランドが誰だったのかを思いだす必要があったのではないだろうか。しかるべき期間が過ぎると、人々はこれらの論争を脇へと追いやって次の話題に移った。
アナ・モンテスも同じようなものだった。逮捕直前にDIAは、彼女がハバナに送った暗号のメモを見つけた。そのメモ紙は……モンテスの財布のなかに入っていた。連絡のために使われる短波ラジオ受信機は……自宅のクローゼットの靴箱のなかに隠されていた。
人間には「デフォルトで信用する」という傾向がある。私たちは基本的に、眼のまえの相手が正直であるという前提のもとに行動しているのだ。
アナ・ベレン・モンテスは世界最高峰のスパイではなかった。そんな技を身につける必要はなかった。人間に備わった噓発見器が「切」に設定された世界では、スパイはつねに有利に物事を進めることができる。
アメリカだけでなく世界じゅうで近年、右派と左派の分断がひどく進んでいる。何か事件が起きると、かならずといっていいほど「自己責任論」と「社会の責任」という対立が起きる。保守・リベラルの伝統的な対立はどこかに消え、最近では相手を罵倒して徹底的に否定することが常套手段のようになってしまった。