感じたこと
内容
地球が宙を浮いていることを最初に見抜き、初めて地図を描き、世界を始まりも終わりも無限だと想定した古代ギリシャの世界初の科学者アナクシマンドロス。科学的思考の本質をえぐり出す。 aa 引用メモ
したがって、科学はゼロからの再構築を目指して前に進むわけではない。これまでの歩みに、一 また一歩と、新たな足跡を刻むことで進むのである。ときには、根本にかかわる問題が変化をこうむ りゅうこつ ることもある。メインマストや竜骨のような、船体のもっとも大事な要素に修正が加えられるかもし れない。だが、それは新しい船を建造することとは異なる。 わたしたちは、ただひとつの手持ちの 延々と修繕しつづける。 先行する世代の船と比較すると、 あれこれ新しい品が追加されている とはいえ、それでも同じであることに変わりはない。 わたしたちが乗り合わせている、世界をめぐ 思索という船は、かぎりない驚嘆に満ちた現実を航海するための唯一の道具である。 何世紀もの時 を経るうちに、いまの船は過去の船とは似ても似つかない代物になった。 アナクシマンドロスが思い 描いた「星々を運ぶ車輪」から、アインシュタインが洞察した曲する空間にいたるまでに、 竜骨の下にはおびただしい量の水が流れた。 それでも、これまでに誰ひとり、全面的に新しいの 組みを提示して、ゼロから再発した人はいない。 それはなぜか? なぜなら、わたしたちにそ んなことはできないから。わたしたちの思考の外に出ることはできないから。わたしたちは、わたし たちが所有する思考の言語でもって思考する。つねに思考の基準となるもの、すなわち現実との休みない厳密な照合を通じて、思考はその内部からすこしずつ変質していく。だが、思考の余白に果てはなく、 わたしたちはいまもって、極小の範囲の探査を終えたに過ぎない。 わたしたちの前に広がる世界は、なおも発見すべき事柄で満ちている。 それでは、先の問いに立ち返るとしよう。つねに変化しつづけるというのなら、なぜ科学の知を信 頼することができるのか? わたしたちは近い将来、ニュートンの教えとも、アインシュタインの教 えとも違った仕方で世界について考えることになるというのなら、世界にかんする現行の科学的記述 どうして真剣に受けとめられるのか?答えは単純である。わたしたちが科学を信じられるのは、ニュートンによる世界記述や、アインシ ユタインによる世界記述が、わたしたちの歴史のそれぞれの時点において、わたしたちがもっている 最良の世界記述だったからである。 改良の余地があるということは、世界について理解し思索するた の優れた道具であるという事実を、なんら損なうものではない。もっとよく切れるナイフがあるか もしれないと考えて、手もとにある有用なナイフをなげうつ人間はいないだろう。つまり、「科学は発展途上だから信じられない」のではなく、「発展途上だからこそ、科学は信頼に 「値する」のである。科学が提供するのはかならずしも、決定的な解答ではない。むしろ、科学という 営みの本質からして、それは「今日における最良の解答」と呼ぶべきである。 科学が信用に値するのは、科学が決定的な解答を提供するからではなく、現時点での最良の解答を提供するからである。 そして、最良の解答を提供できるのはなぜかといえば、自分が提示する答えを 「確固たる真理」と見なさず、 「学び」にたいして、「再考」にたいして、つねに開かれた姿勢で向き合っているからである。知の秘密は学びにたいして開かれている。 そのことを発見したのが科学である。すでに最終的な真 理に到達したと信じることは、科学ではない。 科学の信頼性は、確かさのもとで休らおうとはしない。 むしろ、確かさの根本的な欠如、積極的な批判の受容によって活力を得るのである。 多くの哲学や宗教は、確実かつ完全な知を、理性により構築するという夢を共有している。だが、 知の暫定性を理解すれば、わたしたちはそうした夢よりもはるか遠くまで旅していける。 確実な出発 点はどこにもない。わたしたちが知っていると思っていることの、無秩序で間違いだらけの知識の山 が、どんなときもわたしたちの旅の出発点である。 今日、さまざまな文化の混淆は、世界の各地できわめて活発に進行している。 多くの文化の合流に よって形成され、多くの国の貢献によって豊かになる、一個の共同文明が誕生する瞬間に、わたした ちは立ち会おうとしている。 若いインド人、中国人、アメリカ人、イタリア人、あるいはブラジル人 が受ける教育は、たがいに似かよい、それでいて多岐にわたり、ますます豊かになりつつある。 わた したちの子どもの世代は、 わたしたちの世代とは比較にならないほどに、世界にたいして聞か れた見地のもとで成長している。 異文化との出会いはときに、誰の目にも有害であることが明らかな、 こうでい アイデンティティへの拘を引き起こす。 しかし、そのせいで、こうした出会いにブレーキがかかる ことはない。人間の行によって、 なにもかもが集団のアイデンティティに、孤立に、対立に、戦争 に引き戻されるようなことさえなければ、文化の混淆が、「善くあること」への可能性を開いてくれ る。 文化の価値を高めたいなら、文化を守ろうとしてはいけない。そうではなく、異なる文化と交わら せ混ぜ合わせるべきである。この交換の過程において、価値は比較検討され、知識は照合されふる いにかけられる。 異なる文明の出会いと交流の終わりなきゲームを通じて、わたしたちの知は成長し、人類の冒険は続いていく。 不合理の側につこうとする社会の傾向は、今日ますます強まっている。その結果、いまでは多くの 人びとが、合理的な個人主義は利己的であるという考えに染まりつつある。共通の目的に向けて協働 ゆうわ し、社会的、宥和的な振る舞いを実現するには、合理性を抑制することが不可欠だというわけである。 これは間違った展望だとわたしは思う。そもそも、どうして利己的な振る舞いが、そうでない振る舞いよりも合理的でなければいけないのか? おそらく、わたしたちは遺伝子に書きこまれたブログ ラムによって、個人的な欲求の充足を追求するよう仕組まれている。だが、それを言うなら、わたし たちの寛大さ、わたしたちの社会的な振る舞いもまた、遺伝子に登録された情報のはずである。 贈り 物をもらうのは嬉しいことだが、贈り物を与えるのも、それに劣らず嬉しいことである。いまより裕 福になることは、わたしたちの幸福感を増すうえで有益かもしれないが、貧困のない社会で暮らす方 が、自分ひとりだけ裕福になるよりも、よほど大きな幸福をもたらすのではないだろうか? 人間は その本質からして利己的な生物であり、 欲求の充足は他者との対立を引き起こさずにはいないという 発想こそ、現実に反する不合理な考えである。このように考える人びとは、人間の複雑さを見落とし ている。他方、非合理主義者の振る舞いに寛大さの入りこむ余地はない。 純粋なる非合理主義、「全 体性と共同体」の精神とやらを文明の防壁にすべきだという声が、いまではあちこちから聞こえてく る。まさしくそうした精神が、一九三〇年代のドイツで、寛大さの欠片もないナチスのイデオロギーの台頭を許したのである。 紀元前一五〇〇年ごろに書かれたとされる、インド最古の文献のひとつリグ・ヴェーダには、次の ような魅惑的な一節がある。この創造はどこで生まれ、どこから来たのか。神々もまた、世界の創造の後に生まれたなら、世界がどのようにして存在するにいたったのか、いったい誰が知っているのだろう。この創造はどこからきたのか、誰が実行したのか。神が創造したのか、そうでないのか。それは誰にも知ることができない。天のもっとも高いところから創造を見守っている者だけが、それを知っている。 あるいは、おそらく、その者もまた知らない。 [リグ・ヴェーダ 第十巻 一二九] この冒険がどこへ行き着くのか、わたしたちに知るすべはない。だが、慣習にもとづく知の批判的な再検討、あらゆる強固な信念にたいする抵抗の可能性、世界の新しい見方を探索し、より有効な見 方を創造する能力といった観点から眺めるなら、科学的な思想とは、文明史のゆっくりとした発展を 記した書物の、壮大な一章にほかならない。この章を書き起こしたのはアナクシマンドロスであり、 わたしたちはいまもなお、その物語のなかを生きている。これから先どこへ行くのか、見たい、知り たいという思いに焦がれながら。 革命の夢はじきに息絶え、秩序があらためて優位に立った。世界はそう簡単には変わらない。 […] こうしてわたしは、自分でも気づかないうちに、「文化革命」から「思考の革命」に心変 わりしていた。 […] したがって、 科学の道に進むことは私にとって、一種の妥協の産物だった。 変革と冒険への欲求は手放したくない。 考える自由は捨てたくない。 いまの自分は裏切りたくない。 それでも、まわりの世界と極端に対立することなく、むしろ、世界から好意的に受けとめられるよ うな仕事をしながら、生きていく術はないだろうか。思うに、知的または芸術的な仕事の多くは、 こうした葛藤から生まれてくる。 それは、潜在的な社会不適合者にとっての、一種の避難所なのだ。 (Che cos'è il tempe? The cor's le spazio 九一一頁)