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知の技法: 東京大学教養学部「基礎演習」テキスト

感じたこと

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内容

  • 果たして、自分が作ったようなものだけが地図なのか。
  • 私たちが真に驚くべきは、 人間同士の心の伝達の困難さにつ いてではない。私たちの日々の経験によれば、事態は全く逆なので ある。どんなに過大な自己幻想を抱いた孤独な生存も, いやおうな く他者との関係に入り込んでしまうのであり, そこでは意図すると 否とにかかわらず,負い目を負ったり負わせられたりしているので ある。 だから、言葉が通じない、と言うべきではない。それでも言 葉は通じてしまう, とこそ言うべきなのだ
  • まず冒頭の一文に注目してみましょう。 「誰か慌たしく門前を 駆けて行く足音がした時 代助の頭の中には, 大きな俎下駄が空か らぶら下つてゐた」 とあるのですから, これは言語を素材とする しかない文学的表現における不可能性の一つ, 同時性の表現に挑戦 した文だということがわかります。つまり「誰か慌たしく門前を 駆けて行く足音がした」 という出来事と、 「代助の頭の中には,大 きな俎下駄が空から、ぶら下つてゐた」 という出来事は,同時に生 起しているわけです。 リニア けれども線的な時間の流れの中に言葉を配置することでしか成立 しない文学的表現においては、同時に生起した出来事を記述する際 にも、二つの出来事に前後関係をつけなければなりません。 あたり まえすぎて馬鹿らしいと思うかもしれませんが, これはどうしよう もない拘束なのです。 したがって、 どちらの出来事を前に置き, ど ちらを後に置くのかということを通して, 読者の意識には微妙な, しかし重要な解釈の方向性が与えられてしまうことになります。
  • コンコーダンスか、面白いなぁ。これは本を泣くときに使えそうだ。
  • 手元の百科事典の類を紐解きますと、 「コンコーダンス」とは, もともと 『聖書』 (ラテン語訳) を対象としたもので、 13世紀初頭 のヨーロッパで最初に作成されたとありますので,そう古いもので はありません。すごい時間感覚だ。
  • 構造主義は、とくにだれの発明という訳でもありません。 それは 今世紀の初頭, 芸術, 文学, 生物学, 物理学, 数学, 言語学などの 分野でほぼ一斉に台頭しました。 頭に入りやすいかたちでいえば、 構造主義とは 「実体論から関係論へ」 という, ものの見方の推移を さす言葉と思って間違いないでしょう。 同じころ画家のブラックは、 「わたしは物を信じない。 信じるのは物と物との関係だけである」 といっています. このような動向をいちはやく察知したロマン・ヤ コブソンという言語学者は, 1929年, 「構造主義」 という名前をこ れに与えました。 「現代科学の考究する現象は、 どれをとっても機 械的な寄せ集めとしてでなく構造的全体として扱われており,そこ での基本的な仕事は, 静態的であれ動態的であれ,当の体系の内部 法則を明らかにすることである」。
  • 「学問」 というやや古めかしい印象を与えがちな言葉を避けて、 ここまで 〈知〉とか〈学〉 といった言葉を使ってきたわけですが、 大学で行われているのはまさにこのことにほかなりません。 わたし たちにとっての日々の実践は、 単なる既成の, あるいは既存の知識 の伝達ではなく,それまで 「無知」 の暗闇の奥処に沈みこみ, 人々 がその存在すら気づいていなかった何ものか。 何ごとかを、 明るい ところに引きずり出すという創造的な行為でなければならない. こ これは愚直な正論のようですが、 ここで改めて強調しておくに値する でしょう。ただ, もちろんこれは理想としてというか, 最終的にめ ざす目的としてということであって,何かを発見するためにはまず, 既存の知識の習得という基盤が必要なのは言うまでもないことです から、 教室で過ごされる時間のかなりの部分が、 やや単調で反復的 な「伝達」 「練習」 「実験」等々に費やされるのは仕方がありません。 また、 ニュートンとか柳田國男のような天才が今日の大学にそう何 人もいるとは期待できないということも、 残念ながら認めざるをえ ない。 しかし、万有引力といった途方もない大発見はともかく。 大 なり小なり 「ユーレカ!」 の興奮を味わわせてくれるような契機は、 いたるところに転がっているはずです。
  • 発見とは、カバーを取ること。ディスカバー。

引用メモ