🖋

教養としてのローマ史の読み方

日付

Jun 9, 2018

メモ

  • 歴史は常に、「先人に学んだ者が勝利を掴む」ということを教えてくれています 250
  • もともとエトルリア系の王に対する不満が人々の中に蔓延していた中で起きた事件でしたから、ブルトゥスの怒りは民衆を突き動かし、集会も王家一族の追放を決議するに至ります。 こうして前五〇九年、王家一族を追放したローマは、これ以上、王という名の独裁者による専制政治を望まず、王に代わるものとして任期一年限りの指導者である執政官(コンスル)二名を選出するという道を選びます。共和政ローマの誕生です 346
  • 政務官や、最高権力者である執政官の任期を一年というごく短いものにしたのは、ローマの共和政が、まさに「反独裁のためのシステム」だったからだと言えます。 ローマ人は、なぜこれほどまでに独裁を嫌ったのでしょう。 それは、ローマ人が「自分たちは自由人である」という強い意識を持っていたからだと考えられます。つまり、一人の人間に支配されることを、自らの自由を 侵すものとして嫌悪したのです。これは古代ローマを理解する上で押さえておくべきポイントです 363
  • 勇敢に戦う英雄を 讚えつつも、決して独裁は許さない。これこそが、共和政期のローマ人の自由意識の特質だと思います 389
  • では、ポピュリズムの危険をはらんでいる民主政を正しく機能させるためには、どうすればいいのでしょう。 実はこの問いの答えは、古代ギリシアですでに出ています。 民主政を正しく機能させるために必要なのは、「優れた政治家による意識的な努力」です 483
  • われわれが、ギリシアの民主政を考える上ですごく大事なことは、その後に出てくるプラトンやアリストテレスといった高名な哲学者たちが、民主主義に対して全く期待を持っていないという事実でしょう。 彼らは民主政などいいものではないと主張しているのです 529
  • 他人の失言をよってたかって叩く人々の姿は、古代の陶片追放を 彷彿 とさせ、わたしはあらためて民主主義はポピュリズムなのだと思ってしまいます。 でも、そう思った方がいいのではないでしょうか。 そうした前提に立っていれば、民主主義がポピュリズムに陥ったなどと嘆くこともないし、民主主義が最も優れた政体だとやみくもに思い込むこともなくなるからです。それに、所詮はポピュリズムなのだと思っていれば、少しはマシなポピュリズムをつくろうという、前向きな考え方ができるようになるのではないでしょうか。 552
  • 共和政という一つの政体の中に、「二人の執政官(独裁)」と「元老院(貴族政)」と「民会(民主政)」という三つの要素が配置され、元老院が強かったとは言うものの、それらが絶妙なバランスを保っていたからだと、ポリュビオスは言います 587
  • ローマの強さの秘密は、「負け」を負けで終わらせないところにあると言えます。彼らは失敗から学ぶことの価値を知っていました。 そのことを最も表しているのが、ローマは敗戦将軍を受け入れていたという事実です。 ギリシアでは、敗戦将軍は母国に帰ることができませんでした。帰れば敗戦の責任を取らされ、よくても追放、最悪の場合は処刑されてしまうからです。残酷なようですが、それが古代では当たり前でした。 しかし、ローマは違いました。もちろん、卑怯な戦い方をした者や、自分だけ助かろうと敵前逃亡をしたような者はダメですが、勇敢に戦って敗れた者は、ペナルティなしで受け入れているのです。 事実、カンナエの戦いで七万もの死者を出してしまった敗戦将軍ウァッロも、ローマに帰還し受け入れられています。 ローマが敗戦将軍に特別な処罰を与えなかったのは、誇り高きローマ人にとって、敗北を喫したことで感じているであろう屈辱感が、すでに充分な社会的制裁だと考えたからでした 765
  • なぜこれほど早くカルタゴの経済が復興したのかというと、再軍備を禁じられたからでした。皮肉な話ですが、カルタゴは軍事費がかからなくなったことで、却って経済活動に専念することができるようになり、結果として、驚くべき早さで経済復興を実現させていたのです 873
  • 民衆が戦争に実利を求めた一方で、貴族層には、戦利品よりも大事なものがありました。それは、戦いで武勲を挙げることです。彼らにとっては、武勲こそが勲章であり、モチベーションだったのです。 このことは、特にローマ史において、非常に大きなファクターを占めています。 ローマでは戦争に勝利すると、凱旋門を造ったり凱旋式を行ったりしますが、これは武勲がローマ貴族にとって最大の名誉であったことを意味しています。武勲を挙げることが、その人の権威を上げることに直結していたのです 953
  • わたしが古代ローマの共和政に対し、敢えて「ファシズム」という言葉を用いるのは、独裁と共和政という異なる政体でありながら、両者に共通するものを見出しているからです。 それは、一言で言うなら「先手防衛」、もう少しわかりやすく言うと「攻撃こそ最大の防御である」という価値観です。ですので「共和政ファシズム」は「共和政軍国主義」とでも言っておけばいいのではないでしょうか。つまり軍事力にものをいわせる覇権主義であり、そのような一面がローマにはあるということを、しっかり念頭に置いておくべきでしょう。 969
  • 先祖代々伝わってきた「父祖の遺風」を行動規範としながら、名誉を重んじ誇り高く生きたローマ人ですが、彼らは選民意識を持っていたわけではありません。 わたしは、この選民意識なき自尊心が、ローマ人の誠実さや、謀略に走らない堂々とした戦い方に表れていると考えています。少なくとも謀略を自慢したりはしませんでした。 自分たちはユダヤ人のように神に選ばれた民族というわけではないが、自分たちが打ち立てる名誉というものは、それ以上に尊いものである。だからこそ、常に最善を尽くし、物事に当たらなければならない、というのがローマ人の考え方なのです 1,063
  • その象徴とも言えるのが、ローマ軍の「一〇分の一刑」です。「一〇分の一刑」は、ラテン語で「デキマティオ/decimatio」と言います。 これは、今風に言えば連帯責任に基づく刑です。 たとえば、一隊一〇〇人で戦っていたとしましょう。 一人ひとりは勇敢に一生懸命戦っていたとしても、全体として足並みが乱れていたり、統率が乱れてしまうこともあります。または、隊の中の何人かがだらしなく戦ってしまったために、隊全体の動きがだらしなくなってしまったとき、その一〇〇人の隊員の中から、無作為で一〇人を選び処刑するのです。 1,145
  • 両者の対決が余儀なくされたとき、ポンペイウスは「自分についてこない者は敵と見なす」と 脅し、イタリアに攻め込んだカエサルは、「誰にも与しない者なら味方と見なす」と言ったと言われています。両者の勝敗を分けたのは、カエサルが戦術に 長けていたことももちろんですが、こうしたカエサルの寛容さも影響していたのかも知れません 1,421
  • そんなパトロヌスだからこそ、クリエンテスは、パトロヌスが選挙に出たり公職に就いたりしたときに、公私にわたって尽くしたのです。こうして培われた絆は非常に強く、親子何代にもわたってパトロヌスとクリエンテスの関係が続いた例も珍しくありませんでした。 ローマには「権威をもって統治せよ」という言葉があるのですが、パトロヌスとクリエンテスの関係もまた「権力」ではなく、「権威」に基づく信頼関係が柱となっていたのです 1,440
  • わたしは、こうしたカエサルの姿を思い浮かべるとき、ジョン・F・ケネディの次の言葉を思い出します。 Forgive your enemies, but never forget their names. (敵であっても、それは許せ。ただその名前は覚えておけ) 同じように敵を許し、同じように民衆に愛されたカエサルとケネディ。二人は暗殺によって命を奪われるという死に方まで同じでした 1,584
  • 彼にとっては、帝国内のすべての地域が平等でした。東も西も、北も南も関係ない。イタリア的なものを特にありがたがるということもない。そういう意味では、ローマは彼の治世において「空前の民主化、均等化」が生じたのです。これは、彼によってローマが、「ローマ人の帝国」から「ローマ帝国」になったということです。 こうした民主化、均等化は、現代の感覚で言うと素晴らしいことのように思いますが、問題がなかったわけではありません。なぜなら、広い帝国全土において均等な価値を認めたことによって、皇帝権力の基盤がどこにあるのかということがあやふやになってしまったからです。 その結果、「権力ではなく権威を以て治めよ」というローマの伝統は失われ、露骨な権力、つまり「軍事力」が皇帝権力の基盤になってしまいます 2,811
  • もともとローマ人は、寛容な人々でした。 勇敢に戦った敗戦将軍を受け入れ、雪辱のチャンスを与え、スキピオは差し出された美女を婚約者のもとに祝儀をつけて返しました。カエサルは自分を裏切ったブルトゥスを何度も許し、併合した属州の人々にローマのやり方を押しつけることもしませんでした。ローマ人に対してはもちろん、異民族に対してもローマ人は寛容な精神で対していたのです。 そうした「寛容なローマ人」が時間とともに変質し、非寛容になったことにこそ、ゲルマン人の大移動後に起きた、繰り返される暴動の本当の原因があるということです。 この視点は、現在のアメリカにおける不法移民への対処のあり方や、ヨーロッパ諸国の中東難民受け入れ問題など、この時期のローマが抱えていたのと類似した諸問題を考える上で、とても重要なものだと思います 3,741
  • なぜ高い技術が効率化のために用いられなかったのでしょう。 それは、面倒くさいことや大変なことは、すべて奴隷にやらせていたからなのです。 人はどんなに高い技術や教養を持っていても、改善の必要性を感じなければ、それを活用しようとは思いません。つまり、自分が大変な思いをしているわけではないので、合理化し、経済活動を発展させようという発想自体が生まれなかった、ということです。 4,050
  • 多神教世界というのは、もともと非常に寛容の精神に富んだ世界です。なぜなら数多く存在する神々の中で、どの神を崇めるのも自由な世界だからです。 ですからローマは、さまざまな民族を自分の中に統合していく過程で、相手のいろいろな価値観や生き方をすべて認めていくわけですが、それはローマが基本的に神々を崇める世界であったからに他なりません。そういう意味では、多神教世界の「慈愛」は「寛容」と非常に深く結びついたものと言えます。 相手に対して寛容なのは、視点を変えれば、自らが支配されたくないからです。 4,179

引用メモ