感じたこと
内容
引用メモ
カエサルは、ポンペイウスを攻撃するためにガラティア州からルビコン川を 渡ったが、そのときすべての兵士に言った、「賽は投げられるべし」と。
Καὶ διέβη τὸν Ῥουβίκωνα ποταμὸν ἐκ τῆς Γαλατικῆς ἐπαρχίας ἐπὶ Πομπήμον εἰπών πᾶσι ᾿ἀνερρίφθω κύβος.
プルタルコス「ローマ人たちの名言集」206C (「モラリア3]160頁) 避けられぬ途だ、なぜにためらう?
τί δήτα μέλλεθ᾽ ἄπερ ἀναγκαίως ἔχει;
エウリビデス「バッコス教の信女たち」 1351 (「悲劇全集41489页) いまあるものを楽しみ、また他方で改善を求めること。
στέργε μὲν τὰ παρόντα, ζήτει δὲ τὰ βελτίω.
イソクラテス「デモニコスに与う」29 (「弁論集1」12頁) 他人を非難するのにもっとも熱心な者が、 自分の生活でもっとも多くの過ちを犯す者である。
τοὺς προχειρότατα τοῖς πέλας ἐπιτιμῶντας πλεῖστα περὶ τὸν ἴδιον βίαι ἁμαρτάνοντας. ポリュビオス「歴史」 XII 25c,5(「歷史3]250頁) 病人が弱っている最中には何の助言もしないで、死んでから葬式にやってきて、遺族に向かってこういう療法を施せば快癒しただろうと講釈する医者とはどんな医者か。
τις ἂν εἴη τοιοῦτος ἰατρός, ὅστις τῷ νοσοῦντι μεταξὺ μὲν ἀσθενοῦντι μηδέν συμβουλεύοι, τελευτήσαντος δὲ ἐλθὼν εἰς τὰ ἔνατα διεξίοι πρὸς τοὺς οἰκείους ἃ ἐπιτηδεύσας ὑγιὴς ἂν ἐγένετο. アイスキネス「クテシポン弾劾」225 (『弁論集」324頁 カトは立派に見えることではなく、立派であることを望んだ。
esse quam videri bonus malebat.
サルスティウス「カティリナ戦記」 54 (『カティリナ戦記/ユグルタ戦記】75頁) 諸君は、以前に起こった出来事を先例として利用して、 将来あるべきことを議論せねばならない。
Η χρὴ τοῖς πρότερον γεγενημένοις παραδείγμασι χρωμένους βουλεύεσθαι περί τῶν μελλόντων ἔσεσθαι, リュシアス「民主政破壊に関する弁明」25.23 (『弁論集』350頁) 言論とは魂に抱かれた理性の仲介者である。 est enim oratio interpres animo conceptae rationis. カルキディウス「プラトン 「ティマイオス」註解」104(140頁) 「勇敢」を欠いては、いかなる「技術」でも危険に対しては無力なものとなる。
ἄνευ δὲ εὐψυχίας οὐδεμία τέχνη πρὸς τοὺς κινδύνους ἰσχύει. トゥキュディデス「歴史」1187.4(「歷史1」234頁) 「臭いものに蓋」というのは、人間なればこその知恵の一つです。 人間、生きていくのに完璧を求めすぎてはなりません。
ἐν σοφοῖσι γὰρ τόδ' ἐστὶ θνητῶν, λανθάνειν τὰ μὴ καλά. οὐδ᾽ ἐκπονεῖν του χρή
βίον λίαν βροτούς
エウリビデス「ヒッポリュトス」 465-467 (『悲劇全集11319頁) 「きっと」なんていう言い方はよして。 恋する者にとっては、「絶対」じゃなくちゃだめ。
spissum istuc amanti est uerbum 'ueniet, nisi uenit. ブラウトゥス「小箱の話」 75 (「ローマ喜劇集2」112頁) 恋する人は苦しむもの。でも、恋をしないようではつまらない。 そんな人は生きてて何になるのかしら?
Miser est qui amat.- Certo is quidem nihilist, qui nil amat: quid ei homini opus vita ブラウトゥス「ベルシア人」 179-180 (「ローマ喜劇集3」375頁) 大事なことはチャンスが来たとき眼を開けてることだ。プラウトゥス「ペルシア人」268 事態がもたらす好機は、われわれの鈍さや言い訳を待ってはくれないのである。デモステネス「ピリッポス弾劾(第1演説)」 協調により小さなものも大きくなるが、不和のゆえに最大のものでも崩れ去る。サルスティウス「ユグルタ戦記」10 言葉を正しく使わないというのは、それ自体として誤りであるだけでなく、魂にある種の災いを植え付けるものなのだ。 プラトン「パイドン」115E 饗宴/パイドン 337頁 酒中に真あり。テオクリトス「エイデュリア」XXIX 1『牧歌』230頁 一旦飲むとなったら酒と心中すべきですぞ。エウリピデス「キュクロプス」571 『悲劇全集5』242頁 目における視覚は魂における理性である。 アリストテレス「トピカ」108a11 48頁 君の内を掘れ。内にこそ善の泉が、それも常にほとばしり出ることのできる泉があるのだ。君が常に掘るならばだが。 マルクス・アウレリウス「自省録」VII59 153頁 我々は質素とともに美を愛する。そして智を愛するけれども、柔弱にはならない。富は自慢のためよりも、むしろ行動のための機会として利用する。貧困を認めることは恥ではないが、むしろ努力して脱却しないことこそ恥辱なのである。 トゥキュディデス「歴史」II40,1 歴史1 183頁 勝利を得ることにもまして重要なのは勝利を上手に使うことだ。 プルタルコス「ニキアス」28, 3 英雄伝4 193頁 宇宙は変化、人生は思い込み。 マルクス・アウレリウス「自省録」II 11(27頁) 成功を保証するのは願望の強さではなく、予見の確かさである。 トゥキュディデス「歴史」VI 13, 1 「歴史2」108頁 分不相応な成功は、思慮の足らない者たちには愚かな考えが生まれてくる源泉となるからであり、それゆえに、もろもろの善きものは、これを獲得するよりも維持することのほうが多くの場合むずかしいのだ。 デモステネス「オリュントス情勢(第1演説)」23 「弁論集1」16頁 ひとかどの者になることを求める者は、嫌でもどっさり辛酸を嘗めること、のみならず、嘲笑も軽蔑もしこたま受けなければならない。 ポキュリデス断片13(テオグニス他「エレゲイア詩集」277頁) よいことは二度でも三度でも。 プラトン「ピレボス」60A(144頁) 怠惰という口実に寛大であってはなりません。というのも、回復しているときにのみ、良い気分のときにのみ、あらゆる他の気遣を免れているときにのみ勉学すべきだとわれわれが考えたとすれば、われわれ自身を大目に見る理由がいつもあることになるでしょうから。 クインティリアヌス「弁論家の教育」X3, 29(「弁論家の教育4」246頁) 万事を正しく見定める第一歩は、学ぶ前に知っていると思い込まないことです。 デモステネス「序論集」5,3(「弁論集7」146頁 手もまたさまざまな道具の道具である。 アリストテレス「魂について」432a1(166頁) 私の主張をいえば、人の行動はすべて、快楽か金儲けかあるいは名誉のためである。 イソクラテス「アンティドシス(財産交換)」217(「弁論集2」226頁) 各人の価値は彼が熱心に追い求めてきたものの価値にちょうど等しい。 マルクス・アウレリウス「自省録」VII 3(133頁) 思うに、「始めは全体の半分」以上である。 アリストテレス「ニコマコス倫理学」1098b (31頁) 神は初めにわれらに分別を吹き込み、次いで思考の使者、言葉を与え給うた。 エウリピデス「嘆願する女たち」203-204 (「悲劇全集2」208頁) 戦争の目的は平和であり、忙事の目的は閑暇である。 アリストテレス「政治学」1334a15(389頁) 貧乏人、普通人、弱者といった者が多数者になり、恵まれた状態にあると、民主制を促進させる。 クセノポン「アテナイ人の国制」1,4 (「小品集」247頁)