🖋

哲学の先生と人生の話をしよう

感じたこと

  • aa
  • aa

内容

  • aa
  • aa

引用メモ

こうした人生相談の類を読むと、相談をもちかける人の事情が具体的にイメージできないということがよくあります。伝達というのは、箇条書きできるたぐいの客観的情報を正確に伝えるだけでは十分ではありません。当該事象を取り巻く雰囲気を相手に嗅ぎとってもらうようなやり方が求められるのです。それを成功させるための出来合いの方法などありません。伝達の経験を重ねること、そして、伝達したい事象を十分に理解すること、これ以外にやり方は
オレンジ色のハイライト | ページ: 12 私たちは時折、重大な選択を迫られます。それらは徐々に行われることもあれば、突然に行われることもありますが、いずれにせよ、常に意図せざる仕方で行われるとフィンガレットは言います。というのも、決断はあれこれと計算した結果としてなされるものではないからです。意図せずに行われていた逡巡と熟考の末に、「ああ、これがなすべきことだった」という仕方で、既に決心ができている自分に気付くのです。フィンガレットは、決断とは受動的なものだとも言っています。安冨歩の巧みな説明を用いて言い換えれば、人間は「こうしよう!」という形で決断するのではなく、「そうなってしまう……」という形で決断するの
オレンジ色のハイライト | ページ: 24 だからシルバーハンマーさんがやりたいと思っていることをやればいいし、これじゃダメかなと思ったら立ち止まって考えればいい。ただ、「こういうことをやっていた人間はこうなれる」などとは思わないこと
オレンジ色のハイライト | ページ: 28  重要なのは、「恋愛」という言葉を構成している「 恋」と「 愛」の違いです。「恋する」とは「相手を求め、自分のものにしたがる」こと、「愛する」とは「相手を認めること」だと二村さんは言っています。「愛する」とはつまり、「相手が存在していることを、心から「いい」と受けとめること」と書かれています(同 30
オレンジ色のハイライト | ページ: 30 モノや概念に熱中することで、「苦手な人間関係から逃げている自分」を認めるのを避けているオタクがたくさんいる。そういう人たちは「キモいオタク」と呼ばれる。なぜ彼らがキモいのかと言うと、自分を「ごまかしている」こと、ナルシシズムが強すぎることが周囲にバレバレだからだ、というのです。  つまり、「キモオタ」と呼ばれる存在は、その容姿とは全く関係がないということ
オレンジ色のハイライト | ページ: 34 回遊魚さん、寂しいのはあなただけではありません。それをプライドでごまかしてはいけません。プライドなどは、はっきりいって何の役にも立たない。人間の自由を邪魔するだけのものです。  しかし一度取り憑いたプライドはなかなか取り外せません。これは誰かと一緒にやるしかありません。誰でもいいのです。すこしずつそのプライドを無視した話ができる相手を探してください。対面が無理なら、SNSとか掲示板とかでもいいの
オレンジ色のハイライト | ページ: 38 「モテる」とは「敷居が低い」ことを意味している──これが私の結論です。何らかの理由で或る人物の中に他人が入りやすくなっているとき、その人物は「モテる」のです。これはよくよく考えれば分かることです。すごいカワイイ子が必ずしもモテるわけじゃない。美男子が必ずしもモテるわけじゃ
オレンジ色のハイライト | ページ: 38 誰しもが「心の穴」を抱えており、そして、少なからぬ人がその「心の穴」を誰かに恋することによって「埋めよう」としているからだと思います(前掲書 52-|55 ページ)。  この人なら分かってくれる……。この人といれば「さみしさ」から解放されるんじゃないか……。この人といれば「なりたい自分」になれる
オレンジ色のハイライト | ページ: 53 彼は人間が作り出したもの(これを「ノモス」と言います)には価値をあたえず、自然の中に現れ出たもの(これを「ピュシス」といいます)を重んじました。彼にとっては国家など人間が作り出したノモスに過ぎないのです。  またそのような思想のためか、彼は貨幣を偽造したと言われており、その罪で一度街を追われています。しかし、貨幣によって貧富の差が生じ、貨幣によって人が誰かの奴隷にもなるのだとすれば、彼が、ノモスの一つに過ぎない貨幣を勝手に作り替えたというこの逸話も十分に理解できるもの
オレンジ色のハイライト | ページ: 70 あと、最後に、ここまで書いて気付いたんですが、ニコニコンちゃんさんが僕の友人で、飲み屋かどこかでこういう相談をされたら、僕はやっぱり、「お前さ、相談にみせかけて、自慢してんじゃねーよ」って言うなぁと思いまし
オレンジ色のハイライト | ページ: 77 子は親に「自分を愛して欲しい」と願います。ですので、その願いがかなえられない時には、別の仕方でその願いをかなえようとします。その一つが、愛されていない状態を「これが愛なのだ」と思い込もうとすることです。これは本当に最悪の事態なのですが、実にしばしば起こり
オレンジ色のハイライト | ページ: 80 最後になりますが、あいおちさんはこれから親と生きていくのではありません。あいおちさんが一緒にいたいと思う人と一緒に生きていくのです。それが何より大切なことです。自分の苦しさをきちんと話すことができる人、その人が存在してくれていて本当によかったと思える人、そういう人との関係を築いていって
オレンジ色のハイライト | ページ: 84   「世間が面白くない時は勉強に限る。失業の救濟はどうするか知らないが個人の救濟は勉強だ」   「黙れ、馬鹿野郎共! おまえ達の考え方が古い。禿頭にもいろいろあるが、おまえ達の頭は、内部が禿げている。我輩の頭は単に外部が禿げているきりだ。外部だってまだいくらか禿げ残っているぞ。よし、おまえたちの頭の内部に毛生薬を塗ってやろう。耳を開けろ!」   「本当に語学を物にしようと思ったら、或種の悲壮な決心を固めなくっちゃあ到底駄目ですね。まず友達と絶交する、その次にはかかアの横っ面を張り飛ばす、その次には書斎の扉に鍵を掛ける。書斎の無い人は、心の扉に鍵を掛ける。その方が徹底します」   「辭書に親しめ、辭書をわが物とせよ! 辭書を抱いて寢よ! 辭書のどこを開いても、まるで基督教徒がバイブルを開いたように、一言一句すべて「いつか一度讀んだ覺えのすること」ばかりのような感じのするところまで行け!」   「「頭が好い惡い」の問題ではありません。人間が人生諸般の現象に對してどれだけ深く、どの方面にどれだけ強く關心を持っているかによって「暗記力」がきまって來るの
オレンジ色のハイライト | ページ: 90 さて何が言いたいのかと言うと、大学で「哲学の勉強」をするといっても、それは決まり切った教科書に書かれていることを授業で教わって頭に入れていくことではありえないし、そんなものは大学での勉強ではないということです。これを勉強したから「哲学の勉強」をしたと言えるようなコースは存在しません。いや、もちろん多少はあるのですが(哲学史一般の知識等々)、それは実際には参考書を読めば済む程度のもの
オレンジ色のハイライト | ページ: 90 諸々の学説が、決して 静的 にキレイに整列しているのではない、 動的 に揺れ動き、それどころか戦いを交えている、その現場に触れ、そこから自分なりに考えていくのが大学での勉強
オレンジ色のハイライト | ページ: 102 例えば祭りの時期になると、男女の接触が増え、アルコールなどの興奮剤もより多く用いられる。そうして性衝動が鼓舞されて、男女が結びつく。これは我々の性欲が決して自然発生的なものではなく、様々な文化的装置に規定されていることを意味しています。  だとすると、自分の心が抱えている問題と性欲のあり方が大きく関係していても不思議ではありませんよね。性欲のあり方は自然なものではなくて、様々な影響を受けて
オレンジ色のハイライト | ページ: 103 もしモロッコさんが、僕が推測した通り、実は罪悪感を覚えているのにそれを隠そうとしているのだったら、そういう生き方はあまり良くないと思います。自分に噓をつくというのが生きることにおいて一番良くないことだから
オレンジ色のハイライト | ページ: 107 「未練」というのはなぜ感じるのでしょうか? それは自分が「支払いを受けていない」という感覚を持っているからです。自分はサービスを提供した。だから支払いを受けるべきである。しかしそれが未払いになっている。その感情(=勘定)のことを、世間では「未練」と呼んでいるのです。メアリヒトさんは利用されたのなら、もちろんたくさんサービスを提供していたはずです。未払いなのだから、そのような感情=勘定を抱くのは当然
オレンジ色のハイライト | ページ: 110 実は以上の話は、僕が専門的に研究している十七世紀の哲学者スピノザが言っていたことと全く同じです。スピノザは平行論という考え方に基づき、感情とは、身体が被った変容(つまり情動)が意識化されたものに過ぎないと考えていまし
オレンジ色のハイライト | ページ: 120 このラカンのやり方は、哲学ならば「イロニー」とでも呼ぶであろうものです。既にある規則や主張にわざと固執して、それを突き詰めることで、その規則や主張を破壊してしまうという方法。哲学史だとソクラテスのイロニーが有名です。相手が言っていることに従い、それをどんどん突き詰めていくことで矛盾に追い込むのがソクラテスの常套手段でした。  イロニーについては、田島正樹さんの『 読む哲学事典』における説明が分かりやすいです。田島さんは、むかし旧国鉄労組がやっていた「遵法闘争」を例に挙げてい
オレンジ色のハイライト | ページ: 127 丸山は戦中の日本軍の軍人の態度を「小心翼々」と表現しました(『 現代政治の思想と行動』)。気が小さくていつもびくびくしていて、“〝 上”〟 の人間には媚びへつらい、“〝 下”〟 の人間には徹底的にでかい態度にでる。  そうした意識と行動の様式が完全に日本固有のものだとは言いません。ただ、何か特定の社会構造や権力構造の反映として、「いばる」「いばっている」は存在しています。そういう「いばっている」人間は何らかの構造の“〝 効果”〟 として生み出されているのです。実際、丸山はそこから日本の権力構造を分析してい
オレンジ色のハイライト | ページ: 133  人間はものを考えたくありませんので、基本的に情報を選択的に吸収しています(この辺り、自分の本の紹介で恐縮ですが、『 暇と退屈の倫理学』に書いた「環世界」の議論を参照してください)。思い込んでいる人間は、この選択がより強くなっていて、周囲からの情報吸収を極端に遮断しています。そうでないと、思い込みを突き崩す情報に 晒されて、再び苦しい状態に戻ってしまうから
オレンジ色のハイライト | ページ: 134 た、ミクロな情報群のことです。前にいる全然関係ない人の顔色とか、毎日会っている友人や同僚の精神状態とか、テレビでやっているどうでもいいCMの雰囲気とか、更には自分の体調の具合とか……。そういう自分に与えられている情報を他の人よりも多く受け取り、且つ無意識のうちにそれを処理できている人というのがいるのです。  運のいい人というのは、そうした人のことではないか、というのが先の仮説です。運がいい人というのは、したがって、大量の情報を無意識のうちに処理・計算しており、日常生活のうちに無数に存在する選択の場面でそれが役立っている。つまり、後に「ラッキーである」と思われるような帰結をもたらす無数の選択を無意識のうちに、そして不断に行っているというわけ
オレンジ色のハイライト | ページ: 157 「無理だ」「仕方ない」「だって……」。そういう口調の人はどこにでもいます。まぁ、自分のせいなのに周囲のせいにしているということですね。大学教員にもよくいます。自分の講義がクソつまらないから学生がやる気を出せないのに、学生のことを「だから今の学生はダメだ」と言う。なんで自分が「ダメ」なのに気付かないんですかね。もちろん無能だから気付かないのでしょう
オレンジ色のハイライト | ページ: 159 でも違うんですよ。〈できるやつ〉と〈できないやつ〉がいるんじゃないんです。〈やりたいやつ〉と〈やりたくないやつ〉がいるんです。自分は「斜陽産業」内部の「社畜」と思っていて、特にやりたいこともないんなら、一回やめちゃったらどうですか? そうしたら何かに気付くかもしれませんね。出版業界は移動も激しいし、一回ぐらいいいんじゃないです
オレンジ色のハイライト | ページ: 164 もしかしたら社会は、矛盾に対する対応策をあれこれと捻出し、矛盾を、その悪質な搾取・抑圧機能はそのままに、しかし決定的な効果はもたない状態で維持するかもしれない。そうなると、矛盾はそのまま維持されているのに、いっこうに革命は到来せず、搾取と抑圧の止まない社会が続いていくことになる。しかも、社会はある程度その矛盾、すなわち搾取と抑圧に対する対応策を捻出しているから、人々のつらさは、相当なものでこそあれ、許容不可能な程度には達しない。人々はつらいけれども、そのつらさを我慢して、耐えて
オレンジ色のハイライト | ページ: 168 今の社会は、「責任をもった主体が一人で自分の生活をすべて維持する」というモデルにあまりに強く依拠しています。しかし、様々な理由からそれができない人はたくさんいるのです。ならば、誰かと助け合って生きていく際のモデルの一つとして、結婚があってもいい。そして、そのモデルを利用したいのにできない人がいるのなら、やはり社会がきちんと助力すべきではない
オレンジ色のハイライト | ページ: 172 昔からそう思っていましたし、この人生相談をはじめてこの考えの正しさを再認識しましたが、どんな悩み(問題)も一般的・抽象的である限りは解決しないのです。いかなる問題も個々の具体的状況の中にあります。そして個々の具体的状況を分析すると、必ず突破口が見えてくるの
オレンジ色のハイライト | ページ: 174  僕の経験では、人間の気持ちとか意気込みというのは、情報が入って理解が深まると変わります。「気持ち」「意気込み」などと言うと、心の底からわき出てくるもののように思われてしまいますが、人間の心にはただ単に、これまで収集した情報が入っているだけです。別に無限の泉でも何でもないん
オレンジ色のハイライト | ページ: 183 「怒って断固反対して」は気持ちがいいんです。大きな声が出せる。  でもこのやり方をとる人は、最後のことまで考えていない。気持ちよくなって終わりです。それじゃあ相手がやろうとしていることを変更させるという目標は達成できません。  学生運動が盛んだった頃は、最後のことまで考えないで「怒って断固反対して」の態度にでるか、組織の家畜になって黙っているか(そしてどこかで愚痴るか)の二つしかありませんでした。それはどちらもダメです。それでは何も変えられません。何かを変えるためには、気持ちよくなるのでも、我慢するのでもダメなの