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幽霊を信じない理系大学生、霊媒師のバイトをする(新潮文庫nex)

感じたこと

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内容

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引用メモ

縁側で編み物をしている間に、眠るように息を引き取ったそうだ。 富子 ばあちゃんがそれを見つけた時はまだ温かく、両手には竹製の編み棒が握られていたらしい。百歳にしてボケひとつせず、足腰も立ち、 下 の世話にもならずに生きて、おそらく苦しむこともなく死んだ。いったいどこに「不幸」があるというのか。  もしこんな終わり方さえも「不幸」に分類されてしまうなら、人生の終わりは絶対不可避の不幸ということになってしまう。それはあまりにも、なんというか、救いがない。
オレンジ色のハイライト | 位置: 567  そうだ。俺は反感を持っていたのだ。ひいばあちゃんがあんなにも平穏な 最期 を迎えられたのに、まるで義務みたいに悲しんでいる人たちに。わざとらしい儀式で悲劇の形式を演じる人たちよりも、 訃報 に対して「あー、そうなの」と言ってしまった俺の方が、「遺灰を竹箒で集めて捨てましょう」と言い出すひいばあちゃんに、寄り添えていたのではないか。
オレンジ色のハイライト | 位置: 578 ゴールデンウィークが終わって授業が始まっても、俺はずっとあの葬式についての判断を決めかねていた。ひいばあちゃんの死に際して、わざとらしい儀式をする生者たちに対する反感があり、俺だけがひいばあちゃんの本心を理解しているという感覚があり、それは俺が他人の気持ちを理解しないゆえの 傲慢 である、という自己認識もあった。
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,731 霧が晴れるような気持ちとともに 湧いてきたのは、つまらないな、という感情だった。  それは要するに、俺が元から知っているとおりの人間社会の営みだ。俺はあの人に付き従うことで、もっと見たことのない景色が見えてくるのではないかと期待していたのだ。  もちろん、ハルさんの行為が彼女なりの善意であることは疑っていない。ただ、それはあくまで俺の知っている忙しい世界の枠組みの中にある、ちょっとした余白のようなものでしかない、ということだった。
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,772 「君みたいに真面目に勉強している人が、報われる社会になってほしいんだよ、僕は」  そんなに報われていないように見えるのだろうか、と俺は横目で周藤を見た。俺に思いつく勉強への報いとは、蔵書が充実し空調の整った大学図書館とかそういうものであり、それについては特段の不満はなかった。 「別に、勉強はしたいやつがすればいいだろ」 「そういうわけにはいかないよ。大学教育には少なくない税金が投入されているわけだから、学生は投資に見合う義務を果たすべきだ」
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,806 「うちの科の学生は、みんなまっすぐで良い子なんだよ。ゼミで発表するときも、教授や私の意見を『正解』だと思って、無意識にそれを 探ってしまう。退官の近い教授には気持ちいい介護施設だろうけど、私みたいな若手にとっては、君みたいな偏屈な学生が負荷をかけてくるほうが楽しいね」
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,100 「医者なんてできませんよ。X線の仕組みを知らない患者にX線を浴びせるなんて、怖いじゃないですか」  とっさに出た言葉にしては、自分の価値観の表現として的を射た意見だ。病院という場所にうっすらと苦手意識があるのは、大勢の患者が複雑な装置につながれて、彼らがその仕組みや意義をほとんど理解していない、という状況への違和感が 拭えないからだ。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,626 「お前は全体的に、何がしたいんだよ」 「普通のことだよ。社会を良くするために、自分にできることがしたい。以上」  なんとなくこの男の腹が見えた気がした。「自分ができることをしたい」が彼の本質であり、「社会を良くする」はただ添えただけの言葉だ。だから改善の具体的内容にはこだわっていないのだろう。 「谷原くん、じゃあ、君は何をしたいんだ。君ほど優秀な人間が何を目指しているのか、僕は知りたい」  というので、俺はカバンから読みかけのランダウ物理学教程を取り出し、 「この本に何が書いてあるのか知らないから、それを知ろうとしている。以上」
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,753 「チェーン店なら安いほうが売れるけど、うちみたいな店は高いほうがかえって 流行るんだよ。自分はコーヒーにこだわっている、と言いたいだけの客が来るからね。商談で使うホテルのロビーのカフェなんてのは、大抵は『自分はあなたにこれだけの金を使います』というアピールのためにある」  老店主はカウンターに座ったまま話を続けたが、その内容はずいぶん俺を安心させた。これは「若者に 蘊蓄 を語る老人」という、ごく一般的な社会に属した側の存在だった。
オレンジ色のハイライト | 位置: 3,323 西田は俺の否定を無視して、今日一番で楽しそうな顔をしていた。とはいえ仕方がない。理解なんてものは、誤解をたくさん積み重ねて、統計誤差を減らすことでしか得られないものなのだ。