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あなたの人生の意味

感じたこと

  • 人としての内面を磨くことの大切さを教えてくれる。履歴書向けの成功よりも、墓碑向けの成功を。謙虚に、まっすぐ、正しくあろう。
  • 心がまだら模様であること。成功に至る野心が搾取につながってしまうことも、独創性につながる自信が傲慢さにつながることも。
  • 一度謙虚の谷に降りなくてはいけない。そこから人間性の山を登る。

内容

  • 2つの人間の美徳。この2つそれぞれが一人の人間の中に収まっており、絶えずせめぎ合っている。
    • アダムI:私たちの中のキャリア志向で、野心的な面。何かを創り、築き上げること、生み出すこと、新たな何かを発見することを望む。そして高い地位と勝利を求める。創造力に富み、目に見える成果をあげる。そして、その成果を享受する。物事の仕組みを知りたがる。常に前進しようとする
    • アダムII:心の内に何らかの道徳的資質を持とうとする。内なる自分を晴れやかで曇りのないものにしたい、穏やかだが強固な善悪の観念を持ちたいと望む。善き行ないをするだけでなく、善き存在であることも求める。他人に深い愛を注ぐこと、他人への奉仕のために自己を犠牲にすることを 欲する。普遍的な真理に忠実に従って生きたいと望み、創造と自分自身の可能性を尊重する揺るぎない魂を内に持ちたいと望む。何らかの崇高な目的のために世俗的な成功や社会的な地位を放棄する。物事の存在理由を知りたがる。自分の原点へと帰りたがる。
  • 私たちの心はまだら模様になっている。起業をするには野心が必要だが、その同じ野心によって儲け主義に走ることも、誰かを搾取することもある。性欲がなければ子供は生まれないが、その同じ欲望が不倫につながることもある。大胆に独創的なことをするためには自信が必要だが、その自信はともすれば過信、傲慢さになってしまう。

引用メモ

自分の人格を磨き、実際に素晴らしい人格を持つにいたった人たちを実例として取りあげている。その中には何百年も昔に生きた人もいる。皆、明らかに現代の私たちとは違う物の見方、考え方をしている。そして、現代の私たちとは違い、心の中に鉄のように硬い芯を作っていた。また、ただよく頭が働くというだけではない、真の賢明さを身につけていた。正直に言おう。私はこの本を、自分の心を救うために書いた。
自分自身の中で最も良いと思われる部分を大きく育て、最も悪いと思われる部分に打ち克つ。それが謙虚な人たちにとっての生きる意味であり、そのために大変な努力をする。ともかく最初に、自分には生まれつき大きな欠陥があるのだとはっきり認識する、すべてはそこからだ。
人間には、時間の経過とともに道徳的に向上する責任がある。最高の人生とは、常に心を磨くことのできる人生、道徳的な喜びや、静かな感謝の念を抱くことができる人生だ。心は穏やかであるべきだが、その穏やかさには、内面での道徳的な葛藤を経験し、その葛藤に打ち克たない限り到達できない。有意義な人生を生きることができれば、それは永遠のものになる。有意義な人生とは、理想を掲げ、その理想に向かって最後まで闘い続けた人生のことである。人生は本質的には道徳劇であり、快楽は人生の本質ではない。
一人の人生はあまりに短く、一人の能力はあまりに少ない。だが、他者に頼ることで、自分一人では絶対に得られない発想が得られる。優れた助言を得て自信を持って前に進むこともできる。欠点を克服すると決意して闘ってはいても、はじめに計画したようには行動できないこともあれば、思いどおりに成果があがらないこともある。その時は反省して何度でもやり直すことができる。たとえ失敗しても、懸命に取り組んだのなら、それは尊いことだ。失敗し、それに気づいて、反省し、やり直す、成功はその先にしかない。谷底に落ち、謙虚になって自分の姿を見つめ、努力をして高みに上がり、自分が愛されていると実感する。それが美しい人生へと続く道のりだ。
他者と互いに助け合う人生、互いに感謝し合う人生には喜びがある。互いに感謝し、尊敬し、称賛し合う人生にも喜びがある。自分よりも偉大な人に倣い、偉大な思想を取り入れ、重要な大義のために尽くすことにも喜びがある。どの人、どの思想、大義を選ぶかは自由だ。誰かに受け入れられるという喜びもある。自分には大した価値がないとわかっている。にもかかわらず誰かが愛情を注いでくれたとすれば、人生に自分を組み込んでくれたとすれば、喜ばしい気持ちになるだろう。そして、道徳的に正しい行動を取った時に得られる喜び。これに比べれば、他の喜びなど取るに足りず、いつでも捨てることができる。美しいものに触れた時の喜びは何にも代え難いものだからである。