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読書の学校 若松英輔 特別授業『自分の感受性くらい』

感じたこと

  • いい詩だよな、自分の感受性くらい。
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ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか 苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし 初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな そもそもが ひよわな志しにすぎなかった 駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

内容

  • 「読むと書く」「聴くと話す」は、呼吸のような関係になる。「読む」は吸うこと、「書く」は吐くこと。「聴く」は吸うこと、「話す」は吐くこと。君たちにはきっと好きな歌があって、それを口ずさむこともあると思う。それと同じように好きな詩を書き写してみると、世界が変わりはじめる。
  • 詩は、おもいを言葉に置き換えることであるよりも、言葉のちからを借りて、容易に言葉に収まらない何かを世に送り出そうとする試みなのかもしれない。 言葉にならないことを言葉で書こうとするなんて、おかしなことをいう、と感じるかもしれない。でもよく考えてみるとぼくらは、毎日、言葉によって言葉ではいえないことを相手に伝えようとしているのではないだろうか
  • 描写や表現が正確無比で、言葉がしなやかな筋肉を持って躍動している茨木さんの文章や詩句には、術というより道と呼びたい一種の 気魄 がこもっている。とりわけ俗語を詩の中に採り入れ、ぶるんと顔を洗ったようにあたらしくする腕前の 冴えは、水際立っている。
  • 詩とは、誰かに読まれるために書くものではありません。詩は、自分のために書く。もしくは、今はこの世にいない大切な人に書くこともできる。茨木のり子という大詩人でさえ、もっとも優れた詩集を自分の生涯のうちに世に出すことはなかった。だから、詩を書いたら発表しなくてはならない、発表しないなら詩を書く意味がないということではありません。詩とはそういうものです。
  • 知性や理性もそうです。知性が花開いている人はいるけれど、そもそも知性がない人など存在しません。理性も同様で、みなに等しく与えられている。 つまり感受性というのは、みなに平等に与えられた感性が、その人らしく開花している状態のことを指します。感受性というのは、その人が現時点で感性をどれだけ育てることができているかによって違ってくるのです。だから感受性は、どんどん広く深く育っていくことができる。
  • また、茨木さんは、「気難かしくなってきたのを/友人のせいにはするな/しなやかさを失ったのはどちらなのか」という。気難しくなるとき人は、自分のありようを見失っていることが多いというのです。自分と誰かを比較してしまえば、なおさらです。 人は誰も固有の人生を生きています。また、そう生きることを求められている存在です。この教室に同じ人は存在しない。それは全世界に 枠 を広げても変わりません。 このことは、人は他人と同じ人生を生きることはできないという 厳粛 な事実を伝えてもいます。人まねをすることはできない、というのです。誰でも大きな試練にぶつかることがある。そんなときも人は、最終的には自分で道を見つけていかなくてはならない。 もちろん、こうしたとき、家族や友人あるいは信頼できる知人の言葉が道を照らす光になることもある。しかし、どの道に進むのかを最後に決めるのは自分
  • 生活の問題で苦しむときには、「どう生きるのか」について考えます。「生きるとは何か」ということを考えない。「どう生きるのか」と「生きるとは何か」という問題は、まったく違います。 「どう生きるのか」は方法の問題です。しかし、「生きるとは何か」という問いは私たちを存在の根源とは何かという問題へと導きます。人は独りで生きているのか。それとも他者と常に共にある存在なのか。人は、自分だけで生きているのか。あるいは気がつかないところで何かに生かされているのか。そういった問題を考えることになります。
  • 人が失望や苦しみ、悲しみの最中にいるとき、外に光を探してはならない、自分が光にならねばならない。人は誰も自分の人生を照らし続けるのに十分な「光」を宿しているというのです。 この詩には、本当に励まされました。人にはどうしても闇の中を生きざるを得ないときがあります。うまくいかないとき、自分の思うとおりにならないときがある。そういうときに、私たちは外に出口を探してしまいがちです。
  • みなさんが、人生を支える言葉に出会うのに、もしかすると何年もかかるかもしれない。ときには、その間に生きる意味を見失ってしまうことがあるかもしれません。でも、言葉がみなさんの人生を一段と豊かにしてくれるときが必ず訪れます。 ずっと前に読んだ詩、書いてみた詩が、何十年も後に自分の人生の助けになることが必ずあるのです。ゆっくりゆっくり自分の人生をつむいでいく中で、詩と出会い、詩と生きる。そのことで、みなさんが豊かに生きていくことができるようになれば、これ以上の喜びはありません。

引用メモ