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誤読のイタリア

感じたこと

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内容

  • 甘い嘘よりも、苦い真実を好むイタリア人は、相手に伝えるべきだと思うことをそのままストレートに伝えることを好む。
  • 敬語がなくなるイタリア。敬語で話されたくない、という感覚。
  • もちろん、友だちだからといって何でもアリなわけではない。 友情関係にも恋愛関係にも、 程度や限界というものはある。ただ、イタリア人の場合、その限界値ははるかに高いように 思う。たとえ大喧嘩をしたとしても、「もう絶交だ。絶対に許さない!」となることが、わ りと少ないのだ。 二人の関係に入ってしまったヒビは、多くの場合、修復可能なもの。 お互 いがそのつもりでさえいれば、修復できない関係はない。 そして、改善したその関係は、以 前よりもずっと強くなっていく。 実は、これは父方の祖父に教わったことだ。アンジェロお爺さんは、よくヨランダおさ んと喧嘩をしていた。当時15歳だった私が 「そんなに喧嘩ばかりするのなら、なぜお婆さんと離婚をしないの?」と訊くと、 「どうしてか知りたいかい? モノはね、壊れたら捨てるのではなくて、直すものなんだ よ」と微笑んで答えてくれたアンジェロおさん。 アンジェロおさんのその言葉は、死ぬまで忘れられないだろう。周りのイタリア人の友 ちや知人の経験を聞くと、あの言葉が真実だったと感じさせられる。
  • 金継ぎ、というアナロジー。関係にも金継ぎを。
  • ナンパという新語に触れる。自腹を自払だと思っていたはなし。
  • イタリアの種馬、への誤解。ロッキーから来ていたはずが、セックス語感へと。
  • お客にしても、ospiteとclienteを使いわける。
  • 異文化に関しては、一つ無視できないメリットもあるのだろ う。 我々はステレオタイプを通して、訪問したことのない国と、 触れ合ったことのない民族 に、出会えるのだ。たとえ偏見でも、ある国についてのステレオタイプがなければ、その国 の存在自体知ることはなかったかもしれない。その意味では、ステレオタイプは異文化に 近づいていくための、大切な第一歩に思える。

引用メモ