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ガラパゴスの箱舟

感じたこと

  • 人間の煩悩や迷い、認識の価値を考えさせられる。

内容

  • ダーウィンはこの島々を変えはしなかった。この島々に対する人間の意見を変えただけである。巨大脳の時代には、たんなる意見がそれぐらいに重要だった。 事実、たんなる意見が、たしかな証拠とおなじように人間の行動を支配していたばかりか、とつじょとしてくるりと裏返ることもあった。たしかな証拠にはとうていできない芸当だった。このために、ガラパゴス諸島がある瞬間まで地獄だったかと思うと、つぎの瞬間には天国になったり、ジュリアス・シーザーがある瞬間まで大政治家といわれていたかと思うと、つぎの瞬間には殺戮者といわれたり、エクアドル紙幣がある瞬間まで食物や住居や衣服と交換できていたかと思うと、つぎの瞬間には鳥籠の敷き紙にされたり、また、宇宙もある瞬間まで全能の神の創造物だったかと思うと、つぎの瞬間には大爆発によって生じたものとされたりした。
  • すべては人間の頭の中にあった。もとはといえば、人びとが紙きれでできた富に対する自分たちの意見を変えただけのことだが、その実際の効果は、この惑星にルクセンブルクほどもある隕石がぶつかって、軌道からたたきだしたのにも匹敵するものだった。
  • だから、こういうしかない。当時の人間の脳は、生命をどこまで粗末に扱えるかについて、ひどく口数の多い、無責任な発案者になっていたため、未来の世代の利益のために行動することまでが、ちょうど限られた範囲の愛好家がたのしむゲームのように扱われた──たとえば、ポーカーや、ポロや、証券市場や、SF小説の執筆のようなゲームのようだ。