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私は何も信じない――クリシュナムルティ対談集

感じたこと

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内容

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引用メモ

霊感(インスピレーション)は、私の考えでは、英知(インテリジェンス)を熱情的に覚醒させ続けること
オレンジ色のハイライト | 位置: 117 私の関心事は、われわれがそれぞれの媒体において創造しているときの、双方の感覚を比較することです。あなたは、自分が書いたものに対して自分が常に他人だと感ずるのですか? クリシュナムルティ  ええ、そうですとも。 ストコフスキー  私もです……そして翌日目覚めて、私がこれを書いたのだろうかと自問するのです。それは、少しも私のようではないの
オレンジ色のハイライト | 位置: 214  私は、ずっと以前から、世界の問題は個人の問題であり、外部の葛藤は各人の内なる葛藤の結果であることに気づいていた。明らかにこの内なる動揺が理解されなければならない。人は、自己認識なしにいかにして聡明に、かつ正気に生きることができようか? そしてどのようにして私たちは自分自身を知ったらいいのか? 自分が考え、感じていることを一日中また毎日、十分に気づくだろうか? たぶん自分の精神・心の活動を書き記せば参考になるだろ
オレンジ色のハイライト | 位置: 224  「創造的なものを解放するためには、正しく考えることが重要です。正しく考えるには、自分自身のことを知らなければなりません。自分自身を知るためには、無執着であること、絶対的に正直で、判断から自由でなければなりません。それは、自分自身の映画を見守るように、日中、受け入れも拒みもせずに、自分の思考と感情に連続的に気づくことを意味するの
オレンジ色のハイライト | 位置: 267 あなた─あなたの身体、感情、思考 ── は、過去の結果です。あなたの身体はたんなるコピーなのです。例えば羨望や怒りなどのどんな感情も、過去の結果なのです。羨望について、それを抑圧したり、それを何かあるいは何らかの行為にしようとするなど、あなたが何をしようと、それもまた過去の結果なのです。そのように、あなたはたんに経験の輪のなかを動いているだけなのです」
オレンジ色のハイライト | 位置: 456 一般に、瞑想は 真言、語句、詠唱などの反復、あるいはキリストや仏陀などのイメージ、あるいは善、平和あるいは愛などの観念への集中を意味する。これらの方法は、結果がないわけではないが、しかしそれは性質上機械的で、結局は精神を鈍感にする。これに対して、あるがままへの探究、真理の知覚はつねに新鮮で、つねに生き生きして
オレンジ色のハイライト | 位置: 508 それからクリシュナムルティは、一言ごとにとまりながら、ゆっくりと語った。「正しい行為は、精神が沈黙しており、そして〈あるがまま〉が見られているときにのみ可能です。この〈 見〉から起こる行為は、動機、過去から自由であり、思考と原因から自由
オレンジ色のハイライト | 位置: 519  クリシュナジーはそれから、世界の混乱は個人の混乱の投影であると話した。過去、思考としての時間に囚われた人間の精神は、死せる精神である。そのような精神は混乱に働きかけることはできず、逆に混乱をつのらすことができるだけである。人間は〈 なりゆくこと〉としての時間、明日への投影から自由にならなければならない。彼は〈 いま〉において行為し、かくして自分自身を変容させなければなら
オレンジ色のハイライト | 位置: 577   進化は時間を必要とします が、変容は違います。 変容は突発的 なの
オレンジ色のハイライト | 位置: 644 宗教は、人間が自分のあるがままの姿を見ないですむように、心を静め、他に転じさせる役を果たすのです。宗教は、真実と意識の間に、言語化された神学の壁を建立するの
オレンジ色のハイライト | 位置: 660   絶対的な恐怖というものはありません。いかに無意識のものでも、あらゆる恐怖は思考の結果なのです。内部的、外部的なものに対するあらゆる恐怖は、基本的に、消滅、存在しないこと、への恐怖です ── これ、あるいはそれでない、またはたんに存在しないことに対するものです。われわれは皆、あらゆる存在は束の間のものだと知っているにもかかわらず、心理的な永続性を渇望するのです。このように、渇望が恐怖の起源なのです。恐怖から自由になるには、われわれは、この永続性という観念をその根元まで探究してみなければなりません。幻想のない人は恐怖がありません。それはその人を冷笑的にではなく、物事に対して無頓着にさせるの
オレンジ色のハイライト | 位置: 716 なぜ、いつか未来の宗教のことなど口にするのですか? それよりむしろ、真の宗教とは何かを見てみましょう。組織化された宗教は、たんに社会改革と表面的な変化をもたらしうるだけです。教会というものは、いずれかの社会の枠組みのなかにのみ存在するのです。それに対して、私が話しているのは、社会、すべての社会の心理的構造のかなたにわれわれを連れていくような、宗教的改革のことなのです。真に宗教的な人間はいっさいの恐怖から自由です ── なぜなら彼は、幾千年にもわたって数多くの文明によって作り上げられてきた諸々のパターン(範型)から自由だからです。彼はまた、個人的、集合的な過去から自由であり、そして彼の未来は自分自身の行為の圧力によって歪められないの
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,557 経験とは結局、問いかけへの応答ではないでしょうか? 問いかけへの反応。私はあなたに会い、そして対応する。そこでもし私が、自分の好嫌感、偏見を少しも反応に交えなかったら、何が起こるでしょ
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,571 です。もしその実体 ── すなわち恐怖、心配、罪悪感、等々 ── が消滅し、恐怖等々が一掃されたら、経験すべき何がそこに残るでしょ
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,613 クリシュナムルティ  違います。私の要点は、なぜ「私」、「ミー」、「あなた」は経験をし、しかも最高のもの、幸福、エクスタシー、至福、平和を約束する経験を求めるのかということです。 ヴェンカテサーナンダ  明らかに、現状では不十分だと感ずるからです。 クリシュナムルティ  それがすべてです、それがすべてなの
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,673 クリシュナムルティ  何を彼は言っているのでしょう? 「どうか自分自身を見つめてごらんなさい」と言っているのです。 ヴェンカテサーナンダ  まさしく。 クリシュナムルティ  他に何も言っておりません。 ヴェンカテサーナンダ  他に何もいらない。 クリシュナムルティ  他に何もいらないのです。あなた自身を見つめてみる。あなた自身を観察する。あなた自身を調べてみること。なぜなら、われわれのこのあるがままの状態において、われわれは奇怪な世界を作りあげてしまうからです。人間は月に行くかもしれませんし、さらに遠く金星、火星まで行くかもしれませんが、しかし常に自分をそこまで持ち込んでしまうでしょう。ゆえに、まず自分自身を変えなさい! 自分を変えること ── それゆえ、変えるために自分自身を見つめ、調べ、観察し、聞き、学ぶようにしなさい。これはメッセージでもなんでもありません。もしそうしたければ、誰にでもできるのです
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,743 クリシュナムルティ  印刷された言葉にはなんの生命もありませんが、しかしもしあなたが真剣なら、その印刷された言葉を生き返らせることができるの
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,930 ヴェンカテサーナンダ  いかにも妄想的なのです。人々は考えたがりません。ですから私の思うに、クリシュナジー、もしあなたが真理を言えば、人気が急落します。ある僧はこう言いました。  アプリヤースャ・トゥ・パティヤースヤ・バクタ・スポルタ・ナ・ヴィドゥヤーテ  実に見事です。「人々は快いことを聞きたがるものだ。言って快く、聞いて快いこと
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,976 私が言いたいのは、人はすべての前提、すべての経験、すべての神秘的断言(『神は存在する』といった──訳注)を放棄しなければならないということです。思うに、人は、あたかも何も知らないかのように出発しなければならないの
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,989   私たちは受け入れ、だまされやすく、新しい体験を渇望しています。人々は、顎髭を生やした、何かを約束してくれる誰か、もしあなたがこれこれのことをすればすばらしい体験が得られますよと約束する誰かによって言われることを 鵜呑みにするのです! 人はこう言わなければならないと私は思うのです、「私は何も知らない」 明らかに人は他人に頼ることはできません。もし一冊の本もなく、一人のグルもいなかったら、どうします
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,996 クリシュナムルティ  そこであなたは「自分で見い出してみよう、一歩一歩探究してみよう。自分をだましたくはない」と言うのです。欺瞞が起こるのは私が何かを欲しがっているとき、渇望しているとき、「すべての体験は浅い、何か神秘的な体験をしたい」と言うときです ── すると私は囚われてしまうの
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,043 クリシュナムルティ  慈悲深いがゆえに賢いのです。賢いがゆえに慈悲深いのでは
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,327 私は本当に知らない。私はこれしか知らない、ここ以外の所で思考が働けるかどうか本当に知らない。本当に知らない。「私は知らない」と私が言うとき、それは私が知ることを期待していることを意味しているのではありません。「私は本当に知らない」と言うとき、何が起こるでしょう? 私は梯子を降ります。私、精神、は完全に謙虚になるのです。  さて、その「不知(知らない)」の状態が英知(インテリジェンス)なのです。するとそれは既知の領域内で働き、もし望めば、どこか他の場所でも自在に働けるの
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,450 私が言いたいのはこういうことです。私は人造の神聖さではなく、本当の神聖さを見い出したい。それは、精神が無限空間を持つときにのみ見い出すことができる。で、もし中心があれば、精神はその無限空間を持つことはできない。中心が働いていないとき、広大な空間がある。瞑想の一部であるその空間のなかに、私の愚かしいちっぽけな中心によって考え出されたものではない、真に神聖な何かがある。中心があるかぎりけっして見い出すことができない、測り知れないほど神聖な何かがある。そしてその神聖さを想像することは愚行である─