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反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

感じたこと

  • 愛とは、慈悲喜捨。これは気づきだ。

内容

  • ブッダの考え方の特色は、「人生には悩み・問題がつきものなのだ」という現実を、最初に受け入れてしまうところにあります。私たちが日々感じている満たされなさ、生きづらさ、憂鬱といった思いを「ある」と認めてしまうこと。そのいさぎよさ、合理性が、仏教の特徴です。
  • 生きることには〝苦しみ〟が伴う。 苦しみには〝原因〟がある。 苦しみは〝取り除くことができる〟。 苦しみを取り除く〝方法〟がある。四聖諦
  • ①まず〝求める心〟があり、②それが〝七つの欲求〟を生み出し、③その欲求に突き動かされて、人は 反応 する。④ときには欲求を満たす喜びが、⑤ときには欲求がかなわない不満が生まれる。そういうサイクルを繰り返しているのが、人間の人生である
  • 正しく理解すること です──と答えました。正しい理解こそが、人生の苦悩を解く一番強力な〝智慧〟なのです。今日一日で、ご婦人の長年の苦しみの理由が理解できました。あとは、過去の思いを、今日一日に感じる思いを、毎日見えてくるがままに、よく見ること。そして、将来を信頼すること。それだけで大丈夫です、とお伝えしました。  そのとき、ご婦人は力強く宣言したのです。 「わかりました。これからは、自分の心を正しく理解するようにします。そして、この苦しみを乗り越えることを、人生のテーマにします」
  • 「反応する前に、まず理解する」ということになります。 〇悩みの原因は、〝心の反応〟である。 〇〝心の反応〟の背景には〝求める心〟や〝七つの欲求〟(特に承認欲)がある。 〇心の状態をよく理解するには──①言葉で確認する、②感覚を意識する、③貪欲・怒り・妄想の三つに分類する。 こうした理解によって、苦しみを作り出しているムダな反応を解消していく
  • 人は三つの執着によって苦しむ。 ①求めるものを得たいという執着(だがかなわない)。 ②手にしたものがいつまでも続くようにという執着(やがて必ず失われる)。 ③苦痛となっている物事をなくしたいという執着である(だが思い通りにはなくならない) では、これらの苦しみが止むとは、どういう状態なのだろうか。それは、苦しい現実そのものではなく、苦しみの原因である〝執着〟が完全に止んだ状態なのだ。
  • 人を苦しめる「判断」には、「自分はエライ」「正しい」「優れている(はずだ)」と肯定しすぎる思いもあります。仏教では、こうした心理を〝 慢〟と呼びます。 〝慢〟は、いっときは自分を肯定できる気がして心地よいのですが、高慢、傲慢、プライド、優越感といった思いは、結局、不満や、うぬぼれゆえの失敗を招いて、損をします。 本当は、「自分も、他人も判断しない」ことが、一番なのです。そうすれば、心を別の喜び・満足に使えるからです。素直で、ラクな自分になっていける
  • 自分はエライ、正しいという〝慢〟の心に固まってしまうと、周囲との間に「壁」ができてしまいます。人とわかり合えなくなります。また、何か言われると自分を否定された気がして、逆上したり、落ち込んだりと、苦悩を溜めていきます。 こうした苦しみは、周囲が問題なのではありません。「自分は正しい」という思い込みが、原因なのです。 〝慢〟に囚われた人にとって、「自分の正しさ」を手放すことは、自分を否定すること(自殺行為)になります。だから、人はなかなか素直になれません。 こういうとき、仏教を活かすなら、「方向性を見よう」 ということになるでしょう。
  • 「方向性を見る」とは、仏教の中の「正しい思考」と呼ばれる教えの一要素です。自分のこれからの方向を見ること。そして、自分は正しいと思いつづけたいのか、正しさにこだわらない、素直な自分を目指したいのかを、選択するのです。 率直に言って、「自分は正しい」という思いなんて、あまりに小さな自己満足にすぎません。その思いが、誰を幸せにしているというのでしょうか。
  • 相手の反応は相手にゆだねる
  • 人の人生はつねに、「欲に駆られて不快を感じている姿」と「快を大切にする姿」とに、分かれるのです。 欲求を生きるエネルギーに変えて「快」を感じる生き方は、合理的 です。 ムダな欲求に手を伸ばして、振り回されて「不快」を抱えている生き方は、不合理です。 人は誰だって、幸せに生きたいものです。ならば、「今、快を感じているか、不快を感じているか」を、よく観察しましょう。「不快」を感じたら、ブッダに倣って、反応をリセットするように心がけましょう。
  • 私たちがふだん実体があると思い込んでいるもの──勝ち負けや優劣を競わせる社会の情報や価値観──は、厳密にいえば「妄想」でしかありません。
  • 私たちが目醒めるべきは、競争という現実、社会の現実に対して、日頃「どんな心で向き合っているか」という、最も根源的な部分です。外の世界は二の次。競争という現実も、あとの話です。それよりも、自分の反応、今の心の状態に気づくこと。どんな心で外の世界に対峙しているかを理解することなのです。
  • しかし、競争という現実に、どんな心で向き合うのか。それはあなた自身の選択です。 大切なのは、アタマの中のバーチャルな競争から抜けてみること。競争という脳内の妄想から、いったん目を醒ましてみることです。 そのとき、競争に乗るか降りるか、あるいは別の動機で新しく生きていくかという選択が可能になります。本当の勝利──自分自身の納得──への可能性が開けるのは、その後です。 外の社会や人間が気になってしようがないなら、目を閉じてください。 勝ち負けや優越・劣等という判断が苦しいなら、目を開いてください。 目を閉じるのは、反応しないため。目を開くのは、妄想から目を醒ますため。シンプルですが、これが競争という名の妄想から抜け出すための第一歩です。
  • 慈・悲・喜・捨 と呼ばれる、四つの心がけです。 慈【慈しみの心】 ──これは、相手の幸せを願う心です。自分の都合や欲求を通すことではなく、純粋に「相手が幸せであるように」と願う心のことです。 悲【悲の心】 ──これは、相手の苦しみ・悲しみをそのまま理解すること。相手の「悲」に共感することです。 喜【喜の心】 ──これは、相手の喜び・楽しさをそのまま理解すること。相手の「喜」に共感することです。 捨【捨の心】 ──これは、手放す心、捨て置く心、反応しない心です。「中立心」ともいいます。たとえば、欲や怒りという反応に気づいて、ストップをかける心がけです。