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ハッピークラシー――「幸せ」願望に支配される日常

感じたこと

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内容

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引用メモ

それはともかく、ここ二、三〇年のあいだに劇的に変化したのは、幸せが登場する頻度や広がりだ けではない。われわれの幸せの理解も大きく変化した。われわれはもはや、幸せが多少なりとも運命 や状況に関係しているとは考えていない。つまり幸せは、病気でないことや、人生全体の評価や、愚 者のささやかな慰めではなくなった。今や幸せは、意志の力によってつくりだせるマインドセット (思考様式)になった。われわれの内面の強みと真の自己を実現した結果であり、人生を生きる価値 あるものにする唯一の目標であり、われわれの人生の価値を測る基準であり、われわれの成功および 失敗の大きさであり、われわれの精神的また感情的成長の程度なのだ。
そのもっとも新しくもっとも驚くべき一例が、不平等だ。 最近の研究によれば、大規模データベー スに基づく調査では、所得格差と資本の集中は幸福度や経済発展と正の相関があると証明されたよう に見えるし、それは開発途上国においてとくに顕著だという。これはほかの多くの経済学者らが、 社 会的保護の床 (social protection floor) や再分配や平等は、 社会が繁栄し、人々が尊厳を保って幸福 (2) に生きるためには欠かせないと主張しているのと逆である。 どうやら、不平等がかきたてるのは憤り ではなく「希望要素」だということのようだ。
われわれの内面は、われわれが人生を築き、そこで生きていきたい場所ではない。われわれが重要 社会変化を達成できる場所でもない。われわれはあやしげな自己変革の約束に操られるのも、自己 啓発の考え、気持ち、期待で頭をいっぱいにして生きるのも望まない。 幸せの追求がわれわれの最善 の利益になると確信している人々の気持ちは尊重しよう。だがわたしたちは、その申し出を拒絶した いと思わなければならない。そうしなければ、約束された至高の自己の長い影を追い求めることにな るだろう。いつまでも動きつづけ、目的点に着くことのない、ゼノンのパラドックスのように。 この 飛んでいる矢はけっして的に達することがないだけでなく、さらに深刻なことに、それは個別性を強 調したり、あらゆるネガティブなものに汚名を着せたりすることによってわたしたちの気をそらし 一体感や共同体をつくらせないことにも成功した。