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中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)

感じたこと

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内容

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引用メモ

  • 意志はものごとを意識していなければならない。つまり、自分以外のものから盈虚を受けている。にもかかわらず、意志はそうして意識された亜物事から独立していなければならない。すなわち自発出来でなければならない。この矛盾をどう考えたらいいだろうか?
  • 人は能動的であったから責任を負わされると言うよりも、責任あるものと見なして良いと判断されたときに、能動的であったと解釈されると言うことである。
  • 中動態とは、ゆ、のことである
  • 能動と受動の対立においては、するかされるかが問題になるのだった。それに対し、農道と中道の対立においては、主語が過程の外にあるか内にあるかが問題になる。
  • 中動態と対立するところの能動態においては、主体はないがしろにされている
  • 言語が思考を規定するのではない。言語は思考の可能性を規定する。つまり、人が考え得ることは言語に影響される。言語は思考の可能性の条件である。
  • アレントは、思考、意志、判断と書いた。カントの批判哲学が、理論理性、実践理性、判断力、と書かれていたように。
  • 未来を過去に存在していたものの帰結と定義するならば、未来を神聖な時制とすることは難しい。未来が過去から切断された絶対的な始まりとなったとき初めて、意志に場所が与えられる。始まりを司る能力、何事かを始める能力の存在が認められる。プロアイレシスは単に、理性と欲望の相互作用のもので現れる。
  • 意志と選択は明確に区別されなくてはいけない。
  • 選択は無数の要素の影響を受けざるを得ず、意識はそうした要素の一つに過ぎないとしたら、意識は決して万能ではない。しかし、それは無力でもない。
  • 嵐の日に船の積み荷を捨てる行為は、果たして自発的か。カツアゲに応える行為は自発的か。人が何事かをなすとはどういうことで、人が何事かをさせられるとはどういうことか。
  • 暴力は押さえ込み、権力は行為させる。
  • 政治とは、不一致をもたらす複数性の中で、人々が一致を探り、一致を達成し、コミュニティを動かしていく活動に他ならない。
  • 動詞とは発達した名詞である
  • 出来事の描写から行為の帰属へ。出来事を私有する言語に。出来事を描写する言語から、行為を行為者へと帰属させる言語へと移行する。その帰属先として要求するのが意志である。ジョルジュ・アガンベンは、意志とは行動や技術をある主体に所属させるのを可能にしている装置だと。
  • いわゆる、あらゆるに、中動態・ゆ、の名残がある。
  • 能動態と受動態を対立させるパースペクティブこそが、中動態を抑圧する体制である。これは、尋問する言語である。
  • 意志を持つときにおこることは、過去の忘却である。ひたすら未来だけを指向し、何事からも切り離された始まりであろうとする。海曹を奪った先にあること、それが意志である。意志することはつまり憎むことであり、歴史に対して敵意・Widerwilleを抱くこと。
  • 放下、Gelassenheit。意欲しないことを意欲すること。
  • 能動と受動に支配された言語は行為の帰属を問う言語であり、それはハイデッガーの言うように意志の概念と強く結びついていた。ハイデッガーは意志の概念を強力に批判し、能動と受動に支配された言語の外側を目指した。
  • 神に受動はあり得ない<面白いな。
  • 個物は絶えず他の個物から刺激や影響を受けながら存在している
  • 自由と強制。必然性に基づいた行動が自由である。
  • 自由は認識によってもたらされる。われわれが、世界が、中動態の元に動いている事実を認識することこそ、私たちが自由になるための道。中動態の哲学は自由を志向する。自由とは、自由意志のことではない。
  • ハーマン・メルヴィルの小説、ビリー・バッド。
  • 人は参照の枠組みを選ぶことなど出来るのだろうか?どのコンテクストに依存するかを決定できる自由など存在するのだろうか?
  • マルクスの言葉。
    • 人間は自分自身の歴史を作る。だが、思うままにではない。自分が選んだ環境のもとではなくて、すぐ目の前にある、与えられた、持ち越されてきた環境のもとでつくるのである。
    • Die Menschen machen lhre eigene Geschichte, aber sie machen sie nicht aus freien Stucken.
  • 人が参照の枠組みを選んだことなど一度もない。人はすぐ目の前にある、与えられた、持ち越されてきた参照の枠組みの下で判断を下すほかないのである。
  • 暴力的な善が存在する。