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21世紀の楕円幻想論 その日暮らしの哲学

感じたこと

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内容

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引用メモ

そうか、小商いとは、自分がその全責任を負って行うビジネスプロセスのことを言うの か。ならば、小商いとは規模のことではない。 それが何であれ、どんな種類の商いであれ、本来自分に責任のないようなビジネスプロ セスにまで、責任を負うという態度のことを、わたしは小商いと呼びたいのだと思ったの であった。 そして浮かんできた言葉がヒューマンスケールだった。 わたしたちは、もう一度ヒューマンスケールを回復しなければならない。 でも、ヒューマンスケールとは何なのか。

人間の社会が、社会秩序をどうやってつくっていくのがいいのかを考えて、人工的 に考え出した価値観だとも言えるわけで、言葉を変えて言えばごまかしなんですよ。 だからごまかしに対するうしろめたさがあるんですよ。 これも、誰にでもあると思う。「みんなきれいことばかり言いやがって」と。 だけど、誰も堂々ときれいことなんて言ってはいませんよ。 「これはきれいごとかもしれないけど、そういうことを言うのをやめたらもう全部終わっ ちゃうんだよ」というかたちでやってるわけです。 じゃあ、お前が全部面倒見ろやと言わ れると、それもできないんですね。そのことは、ちょっとしたうしろめたさになっている。 で、ここから先が重要なんだけど、このうしろめたさが大事なんですね。 内田樹というひとが「ためらいの倫理学』という本を出しています。これは非常に象徴 でね。すごいところにかれは目をつけたと思います。 ためらい」だとか「言いよどみ」だとか「恥じらい」だとかそういうことがこの社会の 中になければ、社会は実は、平穏な人間の住処ではなくなってしまうということです

わたしたちの社会には、都市的なものがあり、田園があります。 中心があって、外延が あります。個人のこころの中にも、相互扶助と利己的な欲望充足という相反する価値観が 共存しています。あるときは、仲間や家族で和気あいあいとくつろぎたい気持ちになるで しょうし、あるときには、ひとりになって自由気ままにやりたいという気持ちになります。 どちらか一つじゃなくて両方あるのです。 どちらかを選べと言われても、それはできな 相談なんです。 この二つの焦点がせめぎ合うとき、「折り合い」を付けることがとても大切なことになる のです。 これは「小商いのすすめ」でも書きましたし、「反戦略的ビジネスのすすめ」でも 書きましたが、生きていくうえで重要なことは、様々な矛盾する二項の「やりくり・折り 合い・すり合わせ」をすることなのです。

競走に任せていると、 先頭へ向かって全力で走ろうとする。しかし、騎手は、 馬場の状態 コースの長さ、馬の血や性格、スタミナに合わせて、 その力を最大限発揮 させるために、手綱を操って制御する。 かといって、し過ぎてしまえば、走る気 がれてしまう。 理想的な手は、馬と折り合いを付けながら、人馬一体となって最適 な走りを見い出していきます。 「やりくり・折り合い・すり合わせ」 っていうのは不合理なもの、 本来一緒にできないも 共存させながら現実的な処方を見い出そうという態度です。 様々な嗜好と欲望を持った人間の社会なわけだから「合理的」だけでは解決できない のです。 ただの金銭合理主義だけでは片付かない。金銭合理主義というのは、絶えず貸借 関係を清算し、更新してゆくシステムなんです。 しかし、それだけだと、近ごろ流行の言 葉で言えばリセットを繰り返しているに過ぎないのです。 リセットしても、何も解決したわけではありません。