🖋

「ついやってしまう」体験のつくりかた――人を動かす「直感・驚き・物語」のしくみ

感じたこと

  • ベストセラーになっていることも納得の、人の動かし方の本。
  • 「ゲームばっかりやって...」みたいな見方もある一方で、ゲームを通じて、その中の神話構造を通じてプレイヤーが成長する、というのはなるほど。確かに。

引用メモ

ちなみに僕(筆者) は、観察してことばにする作業を ことばのデッサン とよんでいる
心の文脈こそが体験の意味を決めている
1仮説 自発的に「○○するのかな?」という仮説を立てる。 ※ただし、プレイヤーには仮説が正しいかどうかわからない。 2試行 自発的に「○○してみよう……」と試しに行動を起こす。 ※ただし、プレイヤーには試行が正しいかどうかわからない。 3歓喜 自発的に「○○で正解だった!」と歓喜する。 ※ここではじめてプレイヤーは仮説・試行が正しいと確信する。 仮説を立て、試行し、歓喜する。 マリオの冒頭からクリボー登場までの わずか数秒の間にも、プレイヤーの心は実にこれだけ動いていた んですね。逆にデザイナー側から見れば、わずか数秒の間にこれだけの体験をデザインしているんです
仮説→試行→歓喜 という自発的な体験を通して理解した自転車の乗りかたは、もはや一生疑う必要のない真理として血肉となることでしょう。逆に言えば、あなたはもはや「あなたは自転車が乗れる」ということを疑えません。みずからの五感・知性・意識をフル活用し、みずから努力してこの世界から見つけ出した真理を疑うことは、自分自身を疑い否定することになってしまいます
アフォーダンスのもともとの定義は「環境が動物に与える意味」……なんだか難しいので思い切って噛み砕くと、 あなたが何かを見たときに思い浮かぶ「○○するのかな?」という気持ちのこと です。 ただし、人間のあなたが謎の機械を見れば「○○するのかな?」が思い浮かびますが、同じものを犬が見たところで、きっと何も思い浮かばないでしょう。認識されるもの(謎の機械) と認識するもの(あなたや犬) の両者がそろって、はじめてアフォーダンスは成り立ちます
直感のデザインの連続、これこそが体験をデザインする際の基本戦略であり、基本構造です。 個々の直感のデザインには必ず歓喜が含まれているので、プレイヤーは直感の体験を通り抜けるたびに少しずつテンションを上げていきます。そのままテンションが上がり続け、 ある一点を超えたとき、プレイヤーは意識的に「おもしろいな、これ」と自覚できるようになる わけですが……その瞬間こそ、デザイナーのゴールです
ひとつめのポイントは、ある程度長い時間を直感のデザインで埋めることです。たとえば、みなさんが何かゲームを遊びはじめたとして、 最短何分で「おもしろい!」と意識できるでしょう? 早くても数分、遅ければ数十分は必要なはずです。それだけの時間を直感のデザインで埋めなければいけません。 ふたつめのポイントは、ひとつずつの直感のデザインが短く完結することです。直感のデザインは仮説から始まりますが、仮説はそれが正しいと確かめるまでの間、プレイヤーを不安にさせてしまいます。たとえば、マリオをどれだけ右に歩かせても真っ平らで何もない地平線が続くだけだとしたら? プレイヤーはまちがいなく不安に陥り、 せいぜい 10 秒程度でゲームを止めてしまう でしょう。だからこそ、個々の直感のデザインは、できるだけ短時間にすべきなんですね。 そして3つめのポイントは、個々の直感のデザインにおいて、プレイヤーが歓喜の体験までたどりつく確率を高めることです。
人の行動を変えているのは、 シンプルで簡単であるかどうか です。目の前にあるものが、十分にシンプルで簡単であるなら、人は勝手に解いてしまいます。逆に目の前のものが複雑で難しいと感じたとき、人は解こうとしません
ユーザに寄り添うためには、ユーザがたどる「わかる」→「良い・正しい」という体験の順番に合わせて優先度を決めなければいけません。 商品やサービスの「良さ・正しさ」を伝えるよりも、まずは商品やサービスとの関わりかたが直感的にわかることを優先すること。これこそが「ユーザに寄り添う」の本質だと考え
人はなぜ、ゲームを遊ぶのか? なんだか哲学的にも響く問いではありますが、以下がこの本のこたえです。 ゲーム自体がおもしろいからではなく、 プレイヤー自身が直感する体験そのものがおもしろいから、です
直感のデザインが含んでいる「仮説→試行→歓喜」という3つの小さな体験のうち、仮説と試行の体験はプレイヤーにストレスを与えます。仮説が正しいかどうかわからない不安、仮説でしかないことを実際に試すときの不安。要は、直感のデザインを体験するプレイヤーは「不安→歓喜」と心が動く わけです。そんな直感のデザインが繰り返されるとき、プレイヤーの心も不安と歓喜を繰り返すことになります。不安と歓喜の往復……気疲れするのも無理ありません
「ゲームは生活必需品ではない。だから、驚きが必要だ」
プレイヤーに成長をもたらすモチーフを3つあげてきました。これらはすべて、物語のデザイン・第2ステップ「成長」に用いるモチーフです。 収集と反復のモチーフ{ 穴と全体像→収集と反復→成長 } 選択と裁量のモチーフ{ リスクとリターン→選択と裁量→成長 } 翻意と共感のモチーフ{ 面倒な同行者→翻意と共感→成長
神話学の巨人ジョーセフ・キャンベルは、世界にあまた存在する神話を分析し、あらゆる神話に共通する型の存在を示唆しました。その名も「英雄の旅」、左ページの図にあるような円環構造をしています。 天命を知り、決意して旅に出て、境界を越え、仲間と出会う。最大の試練に立ち向かい、変容・成長して、試練を達成する。ここまでは、なるほど英雄の旅という名に恥じない流れだと感じますが……問題は最後です。「家に帰る」。英雄のふるまいにしては、ずいぶん庶民的でのほほんとしているといいますか、あまり格好がつかない感もある結末です。
旅は旅という体験自体が本質です。確かに、家に帰ってしまえば旅は終わり、日常に逆戻りです。しかし、旅という体験を通してあなたは成長し、旅に出る前と後のあなたは別人になります。それこそが旅の意義です。 ゲームだって同じです。ゲームという体験自体が本質であって、 体験を通してプレイヤーが変わることに意義がある のです
英雄の旅の最終ステップが「家へ帰る」である理由も同様です。物語を通り抜け成長した者に、みずからの成長を気づかせたいからこそ、わざわざ家というスタート地点に戻し、物語を通り抜ける前の自分を思い出させ、ひいては 体験を通り抜ける前後の自分を比べさせている のです。 物語の使命は、物語の受け手を成長させること。だからこそ、英雄の旅は「家へ帰る」という構造になっているのです。そんな物語の構造が人類の歴史上普遍的であったということは、私たち人間がまだ文字すら持たなかった頃から、ただひたすら成長を願ってきたことの証明にもなっていると思います。 時間を超えて記憶を結びつけ、成長に気づかせる。物語全体でそんな体験デザインをやってのけているのが「スタートに戻る」モチーフ
体験と記憶。このふたつの関係について考えるにあたり、ここであらためて、この本であげた3つの体験デザインを振り返ってみましょう。 直感のデザイン 仮説→試行→歓喜 驚きのデザイン 誤解→試行→驚愕 物語のデザイン 翻弄→成長→意志 思い返せば、ゲームは無数の体験デザインを通して、プレイヤーの感情を動かしています。よろこび・いかり・かなしみ・たのしさ。 幾多の感情を一手ずつ繰り出し、そのときそのときの文脈をつくりながら、プレイヤーの心を動かしていく。それが体験デザインの正体です。