🖋

荘子と遊ぶ ──禅的思考の源流へ

感じたこと

  • aa
  • aa

内容

  • 絶対的な受動性を全うすることによってそのまあ完全な主体性に反転する。無一物であればこそ無尽蔵に生み出され、無端が万端に及ぶ
  • 聡は耳ざとさ、明が目ざとさ。明確に避けるべき価値である。空っぽであればこそ、そこに光がさす
  • 変化に身を任せる。一応の分別差異はあるものの、それを変化の一環として受け入れる
  • 坐忘も座禅も、天籟に耳を澄ます時間。関係性を在るが儘に受け入れる自己。
  • 人為としての自己を離れる
  • 善悪も判断せず、好悪も思わないから、徹底して静か。それが聖人であり、鏡。
  • 何も持たない、期待しない、頼らないからこそ、天地の正常な運行にまかせ、自然の変化をすっかり乗りこなし、極まりない変化の世界に遊べるようになればそれが叶う。
  • 待つのではなく、たまたま得るのが良い。期待し、目指して得るのではなく、たまたまの出会いを肯い、ただ身を任せる。しかも身を任せながらそのことを意識しない。それが道である。
  • 完全に身を任せられることこそ、完全な主体性の確立
  • すべてを二項対立ではなく無休の変化の一つとして捉え、枢のように360°たいおうできるのが明。その立場によってはじめて世界は万物斉同になる
  • 天に従っていき、死にゆくときとも万物の変化のまま。静かなときは陰の徳で同調し、動くときは陽の気で波長を合わせて動く。陰陽自在ならば徳の表しようも無限ではないか。

引用メモ