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日本中世史の核心 頼朝、尊氏、そして信長へ (朝日文庫)

感じたこと

  • 信長は合理主義者。天下統一を果たすためにすべての大名が京都を目指していたわけではないことを大切にすべき。
  • 中世の仏教は民衆を救おうなどとしていない。法然はその意味で革命だった。
  • 室町幕府は、権力を一本化する取り組みを進める中で、西国に対象を絞った。
  • 東京を中心にして考えてしまうのは現代の思考バグで、京都から大阪を中心にして、交易相手である中国を見据えて、豊かな瀬戸内海を含めた西国を国の中心と考えるのは不自然ではない。
  • 神仏は一体だった。すべての紙は仏が形を変えたもの、と考えるとすべてが整合する。明治時代にそれが分かれただけ。
  • 梅毒で神大人は多い。山本官兵衛しかり。コンドームが当時はやっていたら...
  • 多神教よりも一神教の方が伝播が早い。
  • 武士の文章化、統治能力は鎌倉幕府初期には圧倒的に低かったはず。
  • 歴史は人が紡ぐ。
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内容

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引用メモ