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正しい判断は、最初の3秒で決まる

感じたこと

  • 言語化できない信念や直感について、身体知などに言及しながらその重要性を語る良著。自身の経営スタンスについても思うことが多く、いいタイミングで読めたなと。
  • 頭を常に先行させるのではなく身体性も大切にしよう。さっそくボクシングジムに体験入会申し込んだ。ウルトラマラソン、、、、すごい世界だ、、、一流と言われるビジネスマンがトライアスロンやアイアンマンなどに取り組む理由についても思いを馳せる。
  • 慎泰俊さん、囲碁を打たれるようで。私は将棋。そこにある呼吸や戦略の捉え方、大局観などはぜひ学びたいところ。続けていこう。

引用メモ

正しい判断は、最初の3秒で決まる。 何らかの意思決定を迫られた際に、私たちは一瞬で何が正しいことなのかを理解する。ふと着想したアイデアについても、私たちはそれが良いものであるかどうか3秒で判断することができる。言葉にもならないうちに。 しかも、その一瞬の判断や発想の精度は非常に高く、熟考した末の結論とほぼ変わらない場合が多い。私たち全員が、この不思議な力を持っている。
私が絶望しそうになるとき、私は全ての歴史において真実と愛は常に勝利してきたということを思い出す。これまでも専制君主や殺人者たちはいたし、ある時期においてその人々は無敵に見える。しかし、最後にはこの人々は必ず没落する。それを考えることだ、いつの日も。
それは、新しいものをつくり続け、成長する企業には、現在見えている数字だけでは語れない「何か」があるということだ。こうした会社には、命令ではなく自分の直感と信念に従って働く経営者(創業者)や従業員がいて、会社自体にも単純に論理的とはいいきれない「自分たちのやり方」があった。
マルクスとエンゲルスが話したように、重要なことは世界を解釈することではなく、変えることだ。何かを知るということは、その知識が実際の私たちの生活をより良いものに変えることでもあるべきだろう。
哲学者のバートランド・ラッセルは、仮説の形成は科学における最も難しい仕事で、非常に高い能力を要求するものであると説いた。私も、仮説の設定というのが非常に難しいものであることを痛感する日々を送っている。 今も忘れられないエピソードがある。この仕事に就きたての頃、私はある投資案件で仮説設定を外部のコンサルタントにお願いしようとしたら、上司にひどく叱られた。彼は「この仕事(仮説設定)を自分たちでやらないでどうするんだ。俺たちの存在意義はここにあるんだぞ」と話していた。なるほど、と思ったのを今も強烈に覚えている。
ここでは、経験がアイデアをつくり出すことを社会進歩という観点から述べておこう。 新しい価値を生み出す直感と信念は、人が経験することからこそ生み出される。人が人生を通じて経験することは完全に予測されていない。だからこそ、人の創造性には限りがなく完全な予測も不可能で、人類の歴史が続く限り、イノベーションは止まることがない(なお、本書では、社会に存在している課題を今までにない方法で解決すること、もしくは先例のない課題を解決することを指して、イノベーションと呼ぶことにする。その規模やインパクトの大きさは問わない)
哲学者であるカール・ポパーも予期せぬ経験が科学の発展の原動力であると話している。彼は、科学とは、予想していたことが起こらないこと、すなわち予期せぬ経験を通じて進歩し続けると説いた。科学は決して完全なる真理にたどり着くことはないが、その真理への渇望があるからこそ、科学は予想以外の新しい経験に出合う。そして既存の説を否定し、それを乗り越える説を提示することで、発展を続ける。
演繹的な推論は、本質的にはトートロジー(同語反復)であって、それは何も新しいものを生み出さない。「論理的に言葉で説明しきれるもの」だけに頼っていては、不十分なのである。 数学者のポアンカレは、帰納法こそが世界を前に進めるものと主張し、演繹的な論理だけに頼る思考の限界を述べた。彼が話していたことを、私たちは何度も反芻する必要があるのかもしれない。
アイデアを生み出す過程そのものにおいても言葉は重要な役割を果たす。 アイデアを生み出す際には、名詞・形容詞ではなく動詞で考えることの重要性が説かれることが多い。すなわち、そのアイデアが何であるのか、どういうものであるのか、ではなく、何をするのかに思考の焦点を当てるのが重要とされている。 経営学者の 楠木 建 教授は「静止画を動画に」することこそストーリーの戦略論の本領があり、動的なプロセスこそ戦略のあるべき姿であると主張している。
若干話は逸れるが、社会のプロセスのほとんどは静的なものでなく動的なものだ。だからこそ、「状態」よりも「行動」のほうが本質的に重要であることは多い。例えば政治学者 丸山 眞 男 が『日本の思想』において、民主主義において重要なことは「民主主義であること」ではなく「民主主義を行うこと」であると主張した。そして彼は日本の政治において「であること」(例えば、選挙を通じて国会議員が選出される仕組み)と「すること」(例えばその選挙が本当に民意を反映できるように日々工夫していくこと)を反転させることの必要性を説いた。
直感や信念を「経験に基づき、無意識のうちに最善の選択肢を選びとるもの」と定義する。 そもそも、なぜ直感と信念を同列に並べるのか、奇異に思う人もいるかもしれない。本書でこれら二つの事柄についてともに述べるのは、次の二つの理由による。 第一に、課題を解決するとき、直感と信念が果たす役割は表裏一体のものであるためだ。直感は、自分の目の前にある問題を解決するためのアイデアを生み出す源泉となる。そして信念は、直感がやってくるまでの間から、直感が生み出したアイデアが現実のものとなるまでの間、絶え間ない試行錯誤を支え続ける力として、人を動かしている。直感と信念は不可分に絡み合っている。 第二に、両者の本質的な特徴は極めて似通っているためだ。 先に述べたように、直感と信念は経験に基づくもので、完全に言葉にできないものであるということ、無意識のうちに作用すること、三段論法のような演繹的な論理では説明されにくいこと、最善の選択肢を高い確率で選びとること、など多くの共通点を持っている。
課題に取り組もうと思う意欲の強い人の多くは、人生においてこのギャップを何らかの形で経験していることが多い。民族的・文化的な少数派の人々は、常に多数派の人々に囲まれて生活しているので、自分たちの世界と周りの世界とのギャップを否応なく体験する。