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日常のフローチャート Daily Flowchart

感じたこと

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内容

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引用メモ

人々にインプットをさせるために、あらゆる商売があれこれ手を尽くして商品を世に送り出しているからだ。そういうものが宣伝され、いかにもそこに人生の楽しみがあるように見せつける。大企業が成立しているのは、大勢にちょっとした楽しみを与えることで莫大な利益を上げているからだ。
オレンジ色のハイライト | 位置: 208 そこから学べることがある。自分の楽しみを持って、自分で生産すること。つまり、アウトプットする。一生なにか作り続ける生活。それが、本当の楽しさを生み出すし、また金もかからない。ゆったりとして、のんびりと生きていける。そして、実は、この金をかけない生き方こそが、本当の贅沢なのである。
オレンジ色のハイライト | 位置: 427 神輿 を担いで、わっしょいわっしょいと汗を流している当事者は気づけない。大事なのは、それを見ている人たちが、「水を差す」ことである。一緒になって拍手をしている人が多いようだけれど、中には水を差すことができる人が必ずいるはず。そういう少数の人の声を、見逃さないことが、のちのち効いてくるだろう。
青色のハイライト | 位置: 431 人情が通り、正論には耳を傾けない。本当のところはこうなのではないか、と意見がいいにくい。水を差す人がいない。水を差すと、周囲から 睨まれてしまうから、黙るしかない。今の日本は、そんな社会になっているように観察される。  それも悪くはないだろう。ただ、大きな問題が、美談で包み隠されたままタブーになる。そして、何十年も経ってから明るみに出て、どうしてみんな黙っていたんだ、と反省するしかない。正論が通らない社会って、平和だけれど、一部の人たちが泣き寝入りする環境といえる。正論の味方がいない。マスコミが、その任務を放棄しているからだ。
オレンジ色のハイライト | 位置: 649 結局のところ、両者が解決しようと考えないかぎり、問題は解決しない。逆に見ると、解決しないままの問題は、両方か、あるいはいずれかが、解決したくないと考えている。解決したくないのは、相手が気に入らないからであって、問題が生じている対象はどうだって良い、と位置づけている。気に入らないから気に入らないのだ。その相手がいなくならないかぎり、この種の対立は続く。
オレンジ色のハイライト | 位置: 745 そういった考えの是非はともかく、この種の「願い」にも、人は束縛されている。願って、期待して、じっと 睨みつけている。でも、願いも期待も叶わない。そうして、自分の目の前にある不満、不安から逃れられなくなる。願うこと、期待することで、時間を取られ、別の道を選ぶチャンスを逃す。これも、社会による束縛の一つではあるが、実はそれを作り出しているのは自分だ。もちろん悪くはない。そういう趣味だと考えれば、 贅沢 なものかもしれない。
オレンジ色のハイライト | 位置: 863 考えてみると、二足歩行というのが、転びやすいデザインだ。ソフトに頼りすぎている。すなわち、センサと演算速度(つまり反射神経)に依存したシステムだから、センサや演算速度が 衰えると成立しない。こんなに長生きするようにはできていないメカニズムなのかもしれない。
オレンジ色のハイライト | 位置: 988 人間は、ただ消費するために生きているのではない。与えられたものを消化し、毎日健康であることが人生の目的ではない。それでは、機械と同じこと。そうではなく、消費をしたものが頭に残り、ときどきそこから、「えっと、なにか、気になるな」と連想し、発想し、これまでになかったものを生み出すこと、そのために生きていると考えたい。  断捨離が悪いとはいわない。ただ、断捨離が無条件に良いことだとする考え方には反論したくなる。少なくとも、僕は断捨離しない生き方を楽しんでいる。断捨離しないことで生まれる価値は非常に大きい。
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,077 僕から見ると、大勢の人が求めている「意味」というものは、単なる「言葉」でしかない。実体のない「物語」でしかない。でも、悪いとはいわない。偉大な人の言葉でも、アニメの主人公の言葉でも、それを聞いた人の心に響けば、そう、一時的には「意味」が生じるだろう。「テーマ」も、「意味」も、所詮その程度のものだ。  その言葉を聞いて、心に響いたとおっしゃる当人が、次に何を作り出すのか、という点に僕は注目する。それがその人の「価値」だと思う。テーマや意味などなくても、その価値は面白いし、楽しいし、たまには新しいものを生み出す。その可能性だけで充分だ。
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,354 「自然」は、遠くへ出かけていって眺めるものだ、と思っている人がいる。しかし、それは勝手な思い込みだ。自然はどこにでもある。身近にいくらでもある。たとえば、大雨後の川が泥で濁ったり、ペンキが剝げて鉄が 錆びたりするのも自然である。人工的なものは、完成時には整然としているけれど、しだいに劣化し、壊れ、崩れ、自然に還る。生物が老いて死んでいくのも自然だ。  人間は、一時的に自然に逆らって秩序を作ろうとするが、自然がこれを許さない。製造されたものは不均衡であり、自然はそれを均衡なものへ戻そうとする。汚れていく、 衰えていく、雑然となっていくのが、自然なのである。
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,478 「優しさ」というのは、矛盾や不満を許容することである。優しさをもって対応するうちに、矛盾や不満は消えていくだろう。
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,516 一ついえることは、僕が新しいものを欲しいと思ったのは、それを他者に見せたいからではない。これだけは断言できる。それに、他者が持っている新しいものを 羨ましいと思ったこともない。ただ、自分の考えで、「これは凄いな、それを作った人間が凄い」と感じたかったからである。
オレンジ色のハイライト | 位置: 1,774 『ドラえもん』に登場する 出 木 杉 君は、たしかに優等生キャラである。しかし、この漫画が登場した当時、「優等生」は 褒め言葉ではなかった。「できすぎ」という表現は、あまりに完璧すぎる見かけは、なにか裏の悪事や欠点があるという意味だ。多くの人がそう受け止めていた。「~すぎる」とは、そのあとに、否定的な内容がくることを示した。「できる」よりも、「できすぎ」は悪い意味になる。英語でも、「too」のあとに形容詞がくれば、そのあと「but」の否定が続くと相手に期待させる。続く言葉を 噤んでも、お互いの共通認識として欠点が強調される。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,140 人間というのは、そういうもの、つまり、誰もが「個」であり、スペシャリストなのである。今、どこかでオリンピックが開催されているようだが、あらゆる競技に勝てる人間が存在しないことが、その証左といえる。総合的に最も優れた人間は誰か、というコンテストが成り立たないのも、ジェネラリストが存在しないことを物語っている。人類が地球上で繁栄できたのは、個人のスペシャルな能力によって分業する仕組みができたからだ。みんなが同じように平均的でバランスの良い能力を持っていたら、人類社会はこれほど進歩しなかっただろう。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,187 一般に、勝ち負けを競う行為は、それが仕事だということで処理される。仕事とは商売であり、生産して対価を得る活動だが、そこでは多かれ少なかれ、他者との競争に巻き込まれる。仕事でなくても、社会の中で良い立場を築くためには、競争に勝たなければならない。だから、勝つことが成功だ、という価値観がそこから生まれる。これは、スポーツなどでも顕著だ。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,209  僕の親父は、「一番になんかならない方が良い」と教えてくれた。だから、僕の子供たちにも同じように接した。子供は二人いるけれど、彼らの成績を見たことがない。「べつに勝たなくても良い」という方針である。  そのかわりに何が大切なのか、というと、それは「無事」である。子供たちが無事であれば、それで子育ては成功だ。親として、子供の安全を考えることが一番の責務だと思っていた。その子供たちはもう四十歳くらいになった。生きていてくれれば、それで充分だし、親として「子育てに成功した」と自己評価できる。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,222 現状維持では意味がない、と考える人もいらっしゃるだろう。若い頃の僕はそう感じていて、なにかを変えなければ意味がない、成長しなければ価値がない、という観念に取り 憑かれていた。だが、それは自分を競争へ駆り立てるような 焦りにほかならない。考えてみたら、制限時間が決まっているわけでもなく、またゴールがどこかにあるわけでもない。人生というのは、永遠ではないけれど、いつが終わりなのかわからない。そして、最後には、無に帰すものである。  それでも、「無事」でありさえすれば、またチャレンジができる。つまり、この「またできる」という感覚こそが「成功」の 証 なのではないか、と思うようになった。いろいろ失敗があったり、反省が多々あったりしても、「またできる」状態ならば、それは「成功のうち」であり、「成功の一部」だと考えることができる。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,504 都会に集まりすぎているのは歴然としている。群れたい人、つるみたい人が多いのか、と 呆れてしまう。狭い場所を取り合うように、ぎゅうぎゅうと押し合っているのに、誰も変だと思わないなんて不思議だ。  最近の商売は、とにかく「 煽り」に重点が置かれている。そして、煽られた人たちが行列を作り、高い料金を支払っている。集まりたいという本能を刺激し、映える商品をつぎつぎ繰り出し、大勢がスマホを手にしたまま押し寄せてくる。  郊外に出れば、ようやくエンジン音が良い響きになった。日本にもまだ自然が沢山残っている。誰からも煽られない静かな生き方もまた、まだ残っているはず、と思いたい。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,650 未来がどうなるのかは、確率的にしか評価できない。数字を比較して判断するしかない。「わからないけれど、だいたい予測できる」ものである。「絶対にこうなる」と断言はできない。方向性を決める議論とは、数字の比較なのである。  具体的で詳しい情報を覚えていることは、これからの時代では価値がない。必要なのは、それらを原理原則に従って吟味し、展開し、計算すること。ここまでは、コンピュータが担当できる。そして、人間はその結果を見て、なにかを思いつく役回りなのである。  発想が生まれると、新しいものが作られ、それをさらにシェイプアップして、しばらくは生産が続けられ、経済が回る。しかし、いずれは古くなる。別のどこかで生まれたより新しいものに代わられる運命にある。経済を長く回し続けたいのなら、ときどき発想して新しさを思いつく才能が必要だ。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,811 しかし、「理想」というものは、「実例」を超えることができる点が異なるし、「実例」を夢だ、推しだと夢中になっている人の多くは、その夢や推しへ自分が近づくことを目標としていて、そこへ到達しようとは考えてもいない。最初から、諦めているからこその「夢」であり「推し」なのである。この点が、自分で夢を作ろうとした人との違いだ。  要約すると、「作る」から「推す」への変革が、現代社会の人々の傾向のシフトであるといえる。どちらも、自分の力で、なにかを育てることでは一致していて、その努力自体が楽しく感じられ、人生の 潤いとなっている。今の状態が悪いという話ではない。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,830 ただ、ときどきでも良いから、ちょっと考えてみた方が面白い生き方ができるかもしれない。結局、楽な生き方をするほど、誰かから 搾取 されて、知らず知らず損をしていることになる道理が見えてくる。もし、それでも良い、搾取するよりは搾取された方が良い状態だ、と開き直れる人は、それでけっこう。そのまま一生頑張れる人は素晴らしい。だけど、本当にそんな損をしたまま、いつまでもにこにこしていられるだろうか、という問題がずっと残るだろう。  もし、できたら損をしたくない、できるだけ搾取されたくない、という思いがあるのなら、並んだ商品から選ぶだけの人生に、行列に並ぶだけの人生に、ときどき抵抗することである。自由とは、選ぶものではない、並ぶことでもない。作るものだからである。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,985 人間の感性というのは、現在の絶対値ではなく、現在の変化率に支配されている。これは、たとえるなら、速度は体感できないが、加速度は感じることができるのと似ている。  逆にいえば、現在の状況がプラスかマイナスか、といった尺度は存在しない。幸福か不幸かは測れないのだ。ただ、どちらへ近づいているか、その変化だけが感知される。
オレンジ色のハイライト | 位置: 3,009 この一番というのは、別の言葉でいうと、「思想」である。そして、二番は、「計画」だ。人生を充実させるために最低限必要なものとは、思想と計画である。そして、補助的に必要なものとして、時間、資金、場所、他者、才能、努力、運、などがある。 「時間がない」「お金がない」と言い訳する人は、思想と計画を持っていない。運を天に任せる人生ともいえる。そうではない。あなたの運は、あなたに任されているのだ。
オレンジ色のハイライト | 位置: 3,023 先日、丸いケーキを五人で食べる機会があり、包丁を彼女が手に持ち、人数を確認してからケーキを切ろうとした。僕は、「直径を切ったら駄目だよ」とアドバイスしたが、彼女は頷きながらケーキをまず半分にした。そのあと、えっと、と考えて、どうすれば五等分できるか、と考えたようだった。世間の多くの人は、このように、ちょっとなにかしてから考える傾向がある。ちょっと考えてからなにかするようにしてほしい。
オレンジ色のハイライト | 位置: 3,085 誰も知ろうとしなかったこと、誰も疑問に思わなかったことを問う能力こそが重要で、これが「的確な質問」というものだ。その質問によって、初めて新たな議論が湧き起こり、あるときは新たな展開、発見、発明に結びつく。このような質問をAIができるようになるには、もう少し時間がかかりそうだな、と感じている。
オレンジ色のハイライト | 位置: 3,175 やりたいことが、かつてはあった。楽しいことが、以前はあった。それが、今はない。何故なのか。あの人が駄目だという。忙しくて時間がない。みんなが認めてくれない。いろいろな理由が周りをさらに固める。それらはおおむね、誰かが悪い、時代が悪い、政治が悪い、という結論へ行き着く。そうなるのは、誰かに期待し、時代に期待し、政治に期待していたからにほかならない。  他者に期待することで、自分がやるべきことを忘れ、同時に自分の夢を諦める。諦めるというよりも、面倒だから放棄するような感じか。 「どうしたら良いでしょうか?」と誰かに 縋る。すると、「こうしなさい」と教えられる。しかし、そんなふうにはできない、と感じる。「あなただからできるのであって、私にはできない」と言い張る。それがわかっているのなら、最初から尋ねない方が良いのでは?