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サピエンス全史

日付

Jan 20, 2018

メモ

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  • 虚構同士の対立。政府と宗教。会社対立。
  • 農業革命という虚構。定住することで個々人は不幸になるが、単位面積あたりの育成人数が増加する。
  • 我々が小麦を育てているんではなく、我々が小麦の奴隷になっている。
  • 農業革命による人口爆発。お金と一緒で、いつか弾ける。
  • 農業によって一時的に人口を増大させ、戦争に勝つ。チート行為。
  • 想像上の秩序は物質的な世界に組み込まれている。想像上の秩序は私達の欲望を形作る。想像上の秩序は共同主観的である。
  • 私たちは、大きな脳、道具の使用、優れた学習能力、複雑な社会構造を、大きな強みだと思い込んでいる。これらのおかげで人類が地上最強の動物になったことは自明に思える。だが、人類はまる二〇〇万年にわたってこれらすべての恩恵に浴しながらも、その間ずっと弱く、取るに足りない生き物でしかなかった。たとえば一〇〇万年前に生きていた人類は、脳が大きく、鋭く尖った石器を使っていたにもかかわらず、たえず捕食者を恐れて暮らし、大きな獲物を狩ることは稀で、主に植物を集め、昆虫を捕まえ、小さな動物を追い求め、他のもっと強力な肉食獣が後に残した死肉を食らっていた。(Kindle Highlight 位置:266)
  • これとは別の説もある。私たちの独特の言語は、周りの世界についての情報を共有する手段として発達したという点では、この説も同じだ。とはいえ、伝えるべき情報のうちで最も重要なのは、ライオンやバイソンについてではなく人間についてのものであり、私たちの言語は、噂話のために発達したのだそうだ。(Kindle Highlight 位置:491)
  • 伝説や神話、神々、宗教は、認知革命に伴って初めて現れた。それまでも、「気をつけろ! ライオンだ!」と言える動物や人類種は多くいた。だがホモ・サピエンスは認知革命のおかげで、「ライオンはわが部族の守護霊だ」と言う能力を獲得した。虚構、すなわち架空の事物について語るこの能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている。(Kindle Highlight 位置:518)
  • 今日でさえ、人間の組織の規模には、一五〇人というこの魔法の数字がおおよその限度として当てはまる。この限界値以下であれば、コミュニティや企業、社会的ネットワーク、軍の部隊は、互いに親密に知り合い、噂話をするという関係に主に基づいて、組織を維持できる。秩序を保つために、正式な位や肩書、法律書は必要ない(Kindle Highlight 位置:574)
  • では、ホモ・サピエンスはどうやってこの重大な限界を乗り越え、何万もの住民から成る都市や、何億もの民を支配する帝国を最終的に築いたのだろう? その秘密はおそらく、虚構の登場にある。厖大な数の見知らぬ人どうしも、共通の神話を信じることによって、首尾良く協力できるのだ。(Kindle Highlight 位置:583)
  • サピエンスはこのように、認知革命以降ずっと二重の現実の中に暮らしてきた。一方には、川や木やライオンといった客観的現実が存在し、もう一方には、神や国民や法人といった想像上の現実が存在する。時が流れるうちに、想像上の現実は果てしなく力を増し、今日では、あらゆる川や木やライオンの存続そのものが、神や国民や法人といった想像上の存在物あってこそになっている(Kindle Highlight 位置:690)
  • 一対一、いや一〇対一〇でも、私たちはきまりが悪いほどチンパンジーに似ている。重大な違いが見えてくるのは、一五〇という個体数を超えたときで、一〇〇〇~二〇〇〇という個体数に達すると、その差には肝を潰す。もし何千頭ものチンパンジーを天安門広場やウォール街、ヴァチカン宮殿、国連本部に集めようとしたら、大混乱になる。それとは対照的に、サピエンスはそうした場所に何千という単位でしばしば集まる。サピエンスはいっしょになると、交易のネットワークや集団での祝典、政治的機関といった、単独ではけっして生み出しようのなかった、整然としたパターンを生み出す。私たちとチンパンジーとの真の違いは、多数の個体や家族、集団を結びつける神話という接着剤だ。この接着剤こそが、私たちを万物の支配者に仕立てたのだ。(Kindle Highlight 位置:787)
  • 古代の狩猟採集民は、感染症の被害も少なかった。天然痘や麻疹(はしか)、結核など、農耕社会や工業社会を苦しめてきた感染症のほとんどは家畜に由来し、農業革命以後になって初めて人類も感染し始めた(Kindle Highlight 位置:1,049)
  • それでは、いったいぜんたい小麦は、その栄養不良の中国人少女を含めた農耕民に何を提供したのか? じつは、個々の人々には何も提供しなかった。だが、ホモ・サピエンスという種全体には、授けたものがあった。小麦を栽培すれば、単位面積当たりの土地からはるかに多くの食物が得られ、そのおかげでホモ・サピエンスは指数関数的に数を増やせたのだ。(Kindle Highlight 位置:1,603)
  • それでは、もくろみが裏目に出たとき、人類はなぜ農耕から手を引かなかったのか? 一つには、小さな変化が積み重なって社会を変えるまでには何世代もかかり、社会が変わったころには、かつて違う暮らしをしていたことを思い出せる人が誰もいなかったからだ。そして、人口が増加したために、もう引き返せなかったという事情もある。農耕の導入で村落の人口が一〇〇人から一一〇人へと増えたなら、他の人々が古き良き時代に戻れるようにと、進んで飢え死にする人が一〇人も出るはずがなかった。後戻りは不可能で、罠の入口は、バタンと閉じてしまったのだ。(Kindle Highlight 位置:1,684)
  • 歴史の数少ない鉄則の一つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる、というものがある。人々は、ある贅沢品にいったん慣れてしまうと、それを当たり前と思うようになる。そのうち、それに頼り始める。そしてついには、それなしでは生きられなくなる(Kindle Highlight 位置:1,696)
  • 農耕民が未来を心配するのは、心配の種が多かったからだけでなく、それに対して何かしら手が打てたからでもある。彼らは、開墾してさらに畑を作ったり、新たな灌漑水路を掘ったり、追加で作物を植えつけたりできた。不安でしかたがない農耕民は、夏場の収穫アリさながら、狂ったように働きまくり、汗水垂らしてオリーブの木を植え、その実を子供や孫が搾り、すぐに食べたいものも、冬や翌年まで我慢した。 農耕のストレスは、広範な影響を及ぼした。そのストレスが、大規模な政治体制や社会体制の土台だった。悲しいかな、勤勉な農耕民は、現在の懸命な労働を通してなんとしても手に入れようと願っていた未来の経済的安心を達成できることは、まずなかった。至る所で支配者やエリート層が台頭し、農耕民の余剰食糧によって暮らし、農耕民は生きていくのが精一杯の状態に置かれた。(Kindle Highlight 位置:1,914)
  • ハンムラビもアメリカの建国の父たちも、現実は平等あるいはヒエラルキーのような、普遍的で永遠の正義の原理に支配されていると想像した。だが、そのような普遍的原理が存在するのは、サピエンスの豊かな想像や、彼らが創作して語り合う神話の中だけなのだ。これらの原理には、何ら客観的な正当性はない。(Kindle Highlight 位置:2,044)
  • 私たちが特定の秩序を信じるのは、それが客観的に正しいからではなく、それを信じれば効果的に協力して、より良い社会を作り出せるからだ。「想像上の秩序」は邪悪な陰謀や無用の幻想ではない。むしろ、多数の人間が効果的に協力するための、唯一の方法なのだ。ただし、覚えておいてほしいのだが、ハンムラビなら、ヒエラルキーについての自分の原理を、同じロジックを使って擁護したかもしれない。「上層自由人、一般自由人、奴隷は、本来異なる種類の人間ではないことを、私は承知している。だが、異なっていると信じれば、安定し、繁栄する社会を築けるのだ」と。(Kindle Highlight 位置:2,083)
  • 一九五八年にミシシッピ大学への入学を志願したクレノン・キングという黒人の生徒は、強制的に精神科病院に入院させられた。裁判長が、ミシシッピ大学に入学を認められると考えるような黒人は精神異常に違いないという判決を下したのだ。(Kindle Highlight 位置:2,668)
  • 文化は、不自然なことだけを禁じると主張する傾向にある。だが生物学の視点に立つと、不自然なものなどない。可能なことは何であれ、そもそも自然でもあるのだ。自然の法則に反する、真に不自然な行動などというものは存在しえないから、禁じる必要はない。男性が光合成をすることや、女性が光速より速く走ること、マイナスの電荷を帯びた電子が互いに引きつけ合うことを、わざわざ禁じようとした文化など、これまで一つとしてなかった。(Kindle Highlight 位置:2,751)
  • 中世の文化が騎士道とキリスト教との折り合いをつけられなかったのとちょうど同じように、現代の世界は、自由と平等との折り合いをつけられずにいる。だが、これは欠陥ではない。このような矛盾はあらゆる人間文化につきものの、不可分の要素なのだ。それどころか、それは文化の原動力であり、私たちの種の創造性と活力の根源でもある。対立する二つの音が同時に演奏されたときに楽曲が嫌でも進展する場合があるのと同じで、思考や概念や価値観の不協和音が起こると、私たちは考え、再評価し、批判することを余儀なくされる。調和ばかりでは、はっとさせられることがない。(Kindle Highlight 位置:3,000)
  • ホモ・サピエンスは、人々は「私たち」と「彼ら」の二つに分けられると考えるように進化した。「私たち」というのは、自分が何者であれ、すぐ身の回りにいる人の集団で、「彼ら」はそれ以外の人全員を指した。じつのところ、自分が属する種全体の利益に導かれている社会的な動物はいない。(Kindle Highlight 位置:3,106)
  • 全世界をその居住者全員の利益のために支配するという思い込みには驚かされる。進化の結果、ホモ・サピエンスは他の社会的動物と同様に、よそ者を嫌う生き物になった。サピエンスは人類を「私たち」と「彼ら」という二つの部分に本能的に分ける。「私たち」はあなたや私のような人間で、言語と宗教と習慣を共有している。「私たち」は互いに対する責任を負うが、「彼ら」に対する責任はない。(Kindle Highlight 位置:3,564)
  • 心はたとえ何を経験しようとも、渇愛をもってそれに応じ、渇愛はつねに不満を伴うというのがゴータマの悟りだった。心は不快なものを経験すると、その不快なものを取り除くことを渇愛する。快いものを経験すると、その快さが持続し、強まることを渇愛する。したがって、心はいつも満足することを知らず、落ち着かない。痛みのような不快なものを経験したときには、これが非常に明白になる。痛みが続いているかぎり、私たちは不満で、何としてもその痛みをなくそうとする。だが、快いものを経験したときにさえ、私たちはけっして満足しない。その快さが消えはしないかと恐れたり、あるいは快さが増すことを望んだりする。(Kindle Highlight 位置:4,288)
  • 社会政治的な秩序を安定させるための近代の試みはすべてこれまで、以下の二つの非科学的方法に頼るしかなかった。a科学的な説を一つ選び、科学の一般的な慣行に反して、それが最終的かつ絶対的な真理であると宣言する。これはナチスと共産主義者が使った方法だ(ナチスは、自らの人種政策は生物学的事実の必然的帰結だと主張し、共産主義者は、マルクスとレーニンは反駁の余地のまったくない経済の絶対的真理を見抜いたと主張した)。bそこから科学を締め出し、非科学的な絶対的真理に即して生きる。これはこれまで自由主義の人間至上主義がとってきた戦略で、この主義は、人間には特有の価値と権利があるという独断的信念に基づいて構築されている。その信念は、ホモ・サピエンスについての科学研究の成果とは、呆れるほど共通点が少ない。(Kindleの位置No.4767-4775)
  • 向上を信奉する人々は、この敗北主義の態度を共有していない。科学者にとって、死は避けようのない宿命ではなく、たんなる技術上の問題だ。人間が死ぬのは神々がそう定めたからではなく、心臓発作や癌、感染症など、さまざまな「技術上の不具合」のせいだ。(Kindle Highlight 位置:5,033)
  • 科学は自らの優先順位を設定できない。また、自らが発見した物事をどうするかも決められない。たとえば、純粋に科学的な視点に立てば、遺伝学の分野で深まる知識をどうすべきかは不明だ。この知識を使って癌を治したり、遺伝子操作した超人の人種を生み出したり、特大の乳房を持った乳牛を造り出したりするべきなのか? 自由主義の政府や共産主義の政府、ナチスの政府、資本主義の企業は、まったく同じ科学的発見をまったく異なる目的に使うであろうことは明らかで、そのうちのどれを選ぶべきかについては、科学的な根拠はない。(Kindle Highlight 位置:5,170)
  • 中国人やペルシア人は、蒸気機関のようなテクノロジー上の発明(自由に模倣したり買ったりできるもの)を欠いていたわけではない。彼らに足りなかったのは、西洋で何世紀もかけて形成され成熟した価値観や神話、司法の組織、社会政治的な構造で、それらはすぐには模倣したり取り込んだりできなかった。フランスやアメリカがいち早くイギリスを見習ったのは、フランス人やアメリカ人はイギリスの最も重要な神話と社会構造をすでに取り入れていたからだ。(Kindle Highlight 位置:5,317)
  • 科学者も征服者も無知を認めるところから出発した。両者は、「外の世界がどうなっているか見当もつかない」と口を揃えて言った。両者とも、外に出て行って新たな発見をせずにはいられなかった。そして、そうすることで獲得した新しい知識によって世界を制するという願望を持っていたのだ。(Kindle Highlight 位置:5,360)
  • アメリカ大陸の発見は科学革命の基礎となる出来事だった。そのおかげでヨーロッパ人は、過去の伝統よりも現在の観察結果を重視することを学んだだけでなく、アメリカを征服したいという欲望によって猛烈な速さで新しい知識を求めざるをえなくなったからだ。彼らがその広大な新大陸を支配したいと心から思うなら、その地理、気候、植物相、動物相、言語、文化、歴史について、新しいデータを大量に集めなければならなかった。聖書や古い地理学の書物、古代からの言い伝えはほとんど役に立たなかったからだ。 これ以降、ヨーロッパでは地理学者だけでなく、他のほぼすべての分野の学者が、後から埋めるべき余白を残した地図を描き始めた。自らの理論は完全ではなく、自分たちの知らない重要なことがあると認め始めたのだ。(Kindle Highlight 位置:5,441)
  • そこに科学革命が起こり、進歩という考え方が登場した。進歩という考え方は、もし私たちが己の無知を認めて研究に投資すれば、物事が改善しうるという見解の上に成り立っている。(Kindle Highlight 位置:5,862)
  • これほど多くのサピエンスは、しだいに自然の気まぐれに振り回されなくなる一方で、近代産業と政府の命令にはかつてないほど支配されるに至った。産業革命は、さまざまな社会工学の試みの実施を次々に可能にし、日常生活と人間の精神構造にさらに多くの想定外の変化を続々と生む結果となった。多くの変化の一例として、伝統的な農業のリズムが画一的で正確な産業活動のスケジュールに置き換わったことが挙げられる。(Kindle Highlight 位置:6,650)
  • ロマン主義の文学ではよく、国家や市場との戦いに囚われた者として個人が描かれる。だが、その姿は真実とはかけ離れている。国家と市場は、個人の生みの親であり、この親のおかげで個人は生きていけるのだ。(Kindle Highlight 位置:6,795)
  • 消費主義と国民主義は、相当な努力を払って、何百万もの見知らぬ人々が自分と同じコミュニティに帰属し、みなが同じ過去、同じ利益、同じ未来を共有していると、私たちに想像させようとしている。それは噓ではなく、想像だ。貨幣や有限責任会社、人権と同じように、国民と消費者部族も共同主観的現実と言える。どちらも集合的想像の中にしか存在しないが、その力は絶大だ。何千万ものドイツ人がドイツ国民の存在を信じ、ドイツ国民の象徴を目にして高揚し、ドイツの国民神話を繰り返し語り、ドイツ国民のために資産や時間、労力を惜しまず提供しているかぎり、ドイツは今後も、世界屈指の強国であり続けるだろう。(Kindle Highlight 位置:6,864)
  • 私たちは以前より幸せになっただろうか? 過去五世紀の間に人類が蓄積してきた豊かさに、私たちは新たな満足を見つけたのだろうか? 無尽蔵のエネルギー資源の発見は、私たちの目の前に、尽きることのない至福への扉を開いたのだろうか? さらに時をさかのぼって、認知革命以降の七万年ほどの激動の時代に、世界はより暮らしやすい場所になったのだろうか? 無風の月に今も当時のままの足跡を残す故ニール・アームストロングは、三万年前にショーヴェ洞窟の壁に手形を残した名もない狩猟採集民よりも幸せだったのだろうか? もしそうでないとすれば、農耕や都市、書記、貨幣制度、帝国、科学、産業などの発達には、いったいどのような意味があったのだろう?(Kindle Highlight 位置:7,122)
  • すべての大陸の事実上すべてのサピエンスは最終的に、今日私たちが暮らすグローバルな世界に到達した。ただし、この拡大と統一の過程は一本道ではなかったし、中断がなかったわけでもない。とはいえ全体像を眺めると、多数の小さな文化から少数の大きな文化へ、ついには単一のグローバルな社会へというこの変遷はおそらく、人類史のダイナミクスの必然的結果だったのだろう。 だが、グローバルな社会の出現は必然的だというのは、その最終産物が、今私たちが手にしたような特定の種類のグローバルな社会でなくてはならなかったということではない(Kindle Highlight 位置:8,043)

引用メモ