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ルソー エミール 自分のために生き、みんなのために生きる

感じたこと

  • それって皆が欲するものですか? 少年の成長過程を通して語られる教育論『エミール』は、民主主義社会を担う、自立した人間のあり方を問う人間論でもあった。真に自由な人間を育てるために必要なこととは何か? 現代の実践的哲学者が、稀代の思想家を掘り下げる。

内容

  • ルソーの考えた「自由な社会」とは、平和共存するために必要なことを、自分たちで話し合ってルール(法律)として取り決める「自治」の社会でした。権力者が勝手な命令を押しつけてきたり、一部の人たちだけが得をする不公平な法律や政策がまかりとおったりすることのない、そんな社会です。 そういう自由な社会をつくるために、『社会契約論』でルソーは「一般意志」(皆が欲すること)という概念を提示しました。〈社会(国家)とは、構成員すべてが対等かつ平和に共存するために創られたものだ。だから、そこでの法律は、どんな人にとっても利益となること、つまり、皆が欲すること(一般意志)でなくてはならない〉
  • 教育論である『エミール』の目的の一つは、「みんなのため」を考えられる人間をどうやって育てるか、ということになります。もっとも、みんなのため、といっても自分を犠牲にして国家に尽くすということではなく、〝自分も含むみんなの利益〟をきちんと考える、ということです。
  • そのような社会的評価でもって測るようになり、そしてまわりの評価にひきずりまわされる。それでは自由とはいえない。そうではなくて、自分の必要や幸福をみずから判断して「自分のために」生きられる人間こそが真に自由な人間だ〉。こうルソーは考えました。自分のため、といっても単に利己的な人間ということではありません。自分にとって必要なことは何か。また自分はどう生きたいのか。つまり自分の生き方についての価値基準をしっかりと「自分のなかに」もっているということ

引用メモ