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世界の使い方(series on the move) 

感じたこと

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内容

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引用メモ

旅に理由はいらない。すぐにわかるはずだ。旅は旅であるというだけで十分なのだから。自 分が旅を組み立てるのだと思ってはいても、気がつけば自分のほうが旅に組み立てられては、 分解されるようになっている。
新世界でのらくらと過ごすことほど人を夢中にさせるものはない。 サヴァ川の大橋からドナウ川との合流点にかけて広がる郊外の一帯が、まばゆい夏の光を受けてきらきらと輝いている。この一帯がサイミシュテ(見本市)と呼ばれているのは、かつて農 業展示会場があったからだ。だが、それもナチスによって強制収容所へと変えられた。四年間 でユダヤ人、レジスタンス、ロマの人々がこの地で数百人単位で死んでいった。平和が戻ると、この暗鬱な「狂気」の地は手っ取り早く壁の色だけ塗り替えられ、国から奨学金を与えられた芸術家たちに託されることになった。
時代の僕は、鉢植え栽培や知識の庭いじり、分析、注釈、挿 し木をまじめにしていた。いくつかの傑作の殻を剥きながらも、そのモデルを追いはらうこと に価値を見いだせずにいた。僕らの国では人生という織物が型どおりに裁断され、配られ、習 慣と制度によって縫いあわされているために、余分な場所がなくなり、創意は装飾の一機能と して留まり、快適さばかりが追求されてしまうのだ。つまり、どんなものでもかまわない、と いうことだ。ここでは違った方向へ進んでいる。必需品に不自由しているために、よりいっそう本質的なものへの欲求が高まる。貧しさから抜けられない暮らしを続けていれば、具体的な 形がなんとしても必要となり、芸術家が仲介者か接骨医のように尊敬されることになるのだ。
何もかもが先を急ぎすぎたため、ベオグラードは都会の生活に繊細さを生み出すさまざまな美 点を引き受けることができなくなってしまったのだ。通りは人が住んでいるというよりも人に 占領されたように見えるし、些細な事件、話題、出会いをつなぐ糸は未発達だ。本来の町であ れば、愛や瞑想のために用意されてしかるべき薄暗くデリケートな片隅といった場所がどこにもない。手の込んだ品はブルジョワ層の顧客とともに姿を消してしまった。
旅のすばらしいところは、生活に必要なものを用意する前に、余計なものを一 掃できることなのだ
教徒の農婦たち、あばた面のトラック運転手たち、姿勢よく座り、爪楊枝でグラスをかき まわしたり、煙草の火を貸して話を始めようと駆け寄る軍人たち。それに毎夜、四人の若い 売春婦たちがドアの横のテーブルでスイカの種をかじりながら、アコーディオン奏者が新品の 燃えるような色をした楽器をなでながら凄まじいアルペジオを奏でるのを聴いていた。
現在、ユーゴスラビアの地方には十万人ほどのロマがいる。以前よりも減っている。ロマの 多くは戦争中に生命を失い、ドイツ軍に虐殺され、収容所へ送られた。生き残った者は馬や熊 を連れ、鍋を持ち、ニシュやスポティツァ郊外の貧困地区へ移り、都市の住民となった。
旅から戻ると、旅に出ることのなかった人々からよくこう言われた。酔狂と集中力がもう少 しあれば、自分も同じように旅をしていた、と。そのとおりなのだろう。きっと強い人間なのだ。僕はそうじゃない。僕には場所の移動という具体的な手助けが、どうしても必要なのだ。 世界が弱者の上に手を広げて支えているというのは幸運なことだ。マケドニア街道で過ごした 数々の夕刻のように、左手に見える月、右手に見える銀色の波を湛えたモラヴァ川、地平線の 向こう側にある村、そういったものを見つけては三週間ほど暮らすのだと思いうかべ、その思 いそのものが世界のすべてとなるとき、自分にはこの世界なしに生きることはできないのだと 理解し、満足を覚えるのだ。
祭日になると花屋や菓子屋のように商品の柩を通りに並べる。値段もさまざま、対象となる 年齢もさまざまだ。柩が並ぶと不気味ではあるが、これほど美しい色彩は町のどこにもない。ときおり黒い服を着た農婦が足を止め、しっかりと値段を交渉し、やがて小さな柩を腕に抱え て去っていく。それほど衝撃的な光景に見えないのは、ここでは生と死が毎日のように、まるで言い争う二人の女のようにいがみあっているし、誰も仲をとりもとうとしないからだ。失った時間を取り戻そうとしている苛酷な国々では、そのような気配りは無縁なものなのだ。
エプロンの上で組んでいた彼女の手には爪がなく、足の爪も醜くつぶれていた。 「私はユダヤ人のマケドニア人です」彼女はドイツ語で言った。「・・・・・でも、ドイツのことは よく知っています。三年間・・・・・・」彼女は指を三本見せた。「戦争のころ、ラーフェンスブリュッ クの収容所で・・・・・・とてもいやな場所で、仲間たちが死にました。あの、わかりますか?・・・・・・でも、ドイツのことはほんとうによく知っています」彼女は満足そうな表情でそうしめくくった。
その土地の食物にはそれぞれ解毒剤―――紅茶、ニンニク、ヨーグルト、玉葱―――があることを思い出すべきだ。そもそも健康とは、適度に感 染を繰り返すことによってもたらされる動的なバランス状態のことだ。
ぼろぼろになるにつれて、正当性や超然たる態度を一身に引き受け、子どもたちが壁に落書き するような老人像そのものになっていく。感受性を犠牲にして精神を発達させた僕らの世界に は、こういった老人像が欠けている。だが、ここでは一日に一度は、茶目っ気たっぷりで、どこまでも軽率でみずみずしい老人に出くわす。秣運びやスリッパの修繕屋だということもあり、 僕としてはこういった老人たちを見かけると、思わず両手を広げて泣きだしたくなってしまう。
午前零時ごろ、食事と休憩を終えると僕らは出発した。開いたサンルーフから見える夜空は 星々であふれていた。二人で穏やかに話をしながら褐色の峠を二つ越えるが、そのうち声をか けても返事がなくなり、ティエリが眠りこんでいるのを横目で見る。夜が明けるまでゆっくり と車を走らせるが、バッテリーがあがらないようにライトは全部消したままだ。海岸の手前の 未舗装の峠道は滑りやすく、エンジンが負けるほどの急斜面だった。エンジンが止まる直前に ティエリを揺すると、彼は飛び起き、半分居眠りをしたまま車を押してくれた。坂が緩くなっ たところで車を止め、ティエリが追いつくのを待つ。下り坂になったと思ったとたん、急な登 り坂が現われ、同じことを繰り返す破目になり、ティエリがはるか後方に取り残される。
ギレスン 海沿いの通りの先に、琥珀色の酒やレモネードを詰めた巨大な瓶が並び、その隙間から嵐を 含んだ光が差しこんでいた。藤の花びらが芳香をただよわせながら散っていく。部屋の窓から、 漁師たちが話をしては小指を合わせながら、おぼつかない足どりで広場を何度も行き来してい るのが見えた。たくましい身体つきをした数匹の猫が、周囲の石畳の上に魚の骨や欠けらを広 げて居眠りをしていた。灰色の鼠たちは側溝に沿って走っていく。完璧な一つの世界だ。
峠道を下 っていくトラックがすれ違ったとたん、五十メートルほどタイヤをスリップさせて停止し、運 転手が下りてきて林檎二つと煙草二本、ヘーゼルナッツを二つかみくれることもあった。 もてなし、律儀さ、意欲、いつでもあてにできる無邪気な愛国心、それがこの地に根づいた 美徳そのものだった。素朴で、そしてすぐにそれとわかるものばかりだ。僕はそういった美徳 の数々にほんとうに触れたのだろうか? そもそもほんとうに美徳と呼べるものなのだろう か? インドにいるときのようにそんな疑問にとらわれることはなかった。
安月給で身なりも粗末な教師たち、彼らのような者たちこそが新しいアイデアや自発心、現 実的な感覚といった、国民革命の高揚感のあとで必要となるものを生み出すものだ。彼らは職 人的な粘りづよさとともに、無骨でためらいがちではあるが、心の底では学ぶことを強く願っ ているトルコ農民のために働いている。さらにいえば、もっと辺鄙な、雪や結核にうちひしが れる土地でも、より不運にあえぐ別の教師たち――なかには若い女性もいる――が土地の住民 たちをず欄から、残酷な迷信から、貧困から救い出そうと戦っているのだ。